シャ乱Qのボーカリストとして活躍し、その後はモーニング娘。をはじめ数多くのアーティストを手掛けてきた、つんく♂さん。
そんなつんく♂さんについて、大学はどこなのか、どのような学歴を持っているのか気になっている方も多いのではないでしょうか。
つんく♂さんの出身大学は近畿大学で、高校も近畿大学附属高等学校を卒業しています。
さらに大学時代には後のシャ乱Qを結成し、年間約100本ものライブを行うなど、本格的な音楽活動に取り組んでいました。
この記事では、つんく♂さんの大学を中心に、高校・中学・小学校などの学歴や学生時代、シャ乱Q結成からメジャーデビューまでを詳しく紹介します。
つんく 大学は近畿大学で商経学部を卒業

つんく♂さんの出身大学は、大阪府東大阪市に本部を置く近畿大学です。
1987年に近畿大学へ入学し、商経学部に在籍して1991年に卒業しています。
近畿大学の公式情報でも卒業生として紹介されており、高校から大学まで近畿大学系列で学生生活を送っていました。
大学時代は授業だけでなく、アルバイトとアマチュアバンド活動にも力を入れていました。
つんく♂さんは後年、近畿大学の入学式で当時を振り返り、アマチュアバンドやアルバイトをしながら授業にも通い、4年間で卒業した趣旨のエピソードを語っています。
後述するように、当時は年間約100本ものライブを行っていたとされているため、音楽活動と大学生活を両立して卒業したことが分かります。
また、学生時代の思い出として語られているのが、大学の地下食堂で提供されていた50円のうどんです。
一般的な喫茶店の定食が500円ほどだった時代に、50円で食べられるうどんは学生生活を支えてくれる存在だったようです。
後に数々のヒット曲を生み出す人物にも、学食を利用しながらバンドと大学生活に励んだ時代があったのですね。
そして大学卒業時には信用金庫への就職が決まっていましたが、内定を辞退して音楽の道へ進むことを選択しました。
すでに大阪のアマチュアシーンで活動していたとはいえ、将来の成功が保証されていたわけではありません。
それでも安定した就職ではなく、プロのミュージシャンになる可能性に賭けたことが、その後の人生を大きく変えることになります。
つんく♂は2014年3月に喉頭がんを患っていることを公表。2015年4月、同大学の入学式で、声帯の摘出手術を受け「声」を失ったことを告白した。当時を振り返り「僕の話を真剣に聞いてくれる皆さんの表情や雰囲気に、とても励まされました」と感謝した。
告白から8年、つんく♂はその時と同じ舞台で、新入生へ向けて「本日、先輩として、皆さんに言いたいことはひとつだけです。『それ、やり抜いてみて!』たったそれだけです」と伝えた。
信用金庫の内定を辞退してバンド活動を継続。時には「アホ」と後ろ指を指された過去をふまえ「日本では『アホなこと』と言われてしまうことでも、世界から見れば『ブラボー!』と褒めてもらえることもたくさんあります」と勇気づけ、「かくいう僕もまだ夢の途中。皆さんは僕の後輩だけど、ライバルでもあるんですよ!」とメッセージを送った。
出典:デイリースポーツ
つんく 学歴とつんく 出身高校・中学・小学校

つんく♂さんの出身高校は、近畿大学附属高等学校です。
高校卒業後は系列の近畿大学へ進学しているため、高校から大学まで近畿大学系列で学んでいます。
高校時代にはすでに音楽への関心を強め、バンド活動を行っていたとされています。
中学校については、東大阪市立長栄中学校とする情報が複数あります。
ただし、高校や大学とは異なり一次資料で明確に確認できる情報ではないため、「長栄中学校とされている」と捉えておくのが適切でしょう。
中学時代には陸上部で走り高跳びに取り組み、中学2年生頃からギターを弾き始めたとも伝えられています。
中学3年生になると文化祭で弾き語りを披露したとされ、人前で音楽を演奏する経験を早くから積んでいたようです。
出身小学校については、東大阪市立長堂小学校とする情報があります。
つんく♂さんは少年時代から音楽やラジオに親しみ、人を楽しませることにも関心を持っていたようです。
後に音楽家だけでなくプロデューサーとして幅広く活躍する原点は、大阪で過ごした少年時代から少しずつ作られていたのかもしれません。
つんくの学生時代とシャ乱Q結成からメジャーデビューまで

つんく♂さんの大学生活で大きな転機となったのが、シャ乱Qの結成です。
大学2年生だった1988年、別々のアマチュアバンドで活動していたメンバーが集まり、後のシャ乱Qにつながっていきました。
バンド名の「シャ乱Q」は、「シャッターズ」「乱」「QP」というメンバーが所属していた3つのバンド名を組み合わせて生まれたとされています。
そして1989年1月15日には、大阪のバナナホールで初ライブを行いました。
大学時代のシャ乱Qは、年間約100本ものライブを行うほど精力的に活動していました。
しかも、ライブをするだけではありません。
自分たちでチラシを作り、楽曲を収録したカセットテープをダビングして配るなど、宣伝活動までメンバー自身で行っていたといいます。
現在であればSNSなどを利用して音楽を広められますが、当時は自分たちで直接宣伝し、ライブ会場へ観客を呼ぶ必要がありました。
さらにシャ乱Qは、大阪城公園で行われていたストリートライブ、通称「城天」でも活動しました。
1990年には関西のアマチュアバンドによる「すっぽんファミリー」に参加し、毎週日曜日に大阪城公園でライブを行うなど、徐々に支持を広げていきます。
大学生の頃から楽曲制作だけでなく、宣伝や集客まで自分たちで考えていたことは、後のプロデュース活動にもつながる経験だったと考えられます。
1991年にはNHK-BSの「ヤングバトル」でグランプリを獲得し、プロへの道を大きく前進させます。
そして1992年7月22日、「18ヶ月」で念願のメジャーデビューを果たしました。
ただし、デビューしたからといって、すぐに全国的な人気バンドになったわけではありません。
状況が変わり始めたのは、1994年に発売された「上・京・物・語」です。
同曲が注目を集めた後、1994年10月には「シングルベッド」を発売。
「シングルベッド」の大ヒットによってシャ乱Qは全国区の人気バンドへ成長し、翌1995年には「ズルい女」も大ヒットしました。
大学時代から地道にライブを重ねてきた経験が、長い時間を経て大きな結果につながったことが分かります。
まとめ
今回は、つんく♂さんの大学を中心に、学歴や学生時代、シャ乱Q結成からメジャーデビューまでについて紹介しました。
つんく♂さんの出身大学は近畿大学で、商経学部を1991年に卒業しています。
出身高校は近畿大学附属高等学校で、中学校は東大阪市立長栄中学校、小学校は東大阪市立長堂小学校とされています。
特に注目したいのが、近畿大学で過ごした学生時代です。
大学2年生頃にシャ乱Qを結成し、年間約100本のライブや城天での活動を続けながら、自分たちでチラシやカセットを作って宣伝していました。
卒業時には信用金庫への就職ではなく音楽の道を選び、その後1992年にメジャーデビューを実現しています。
後にモーニング娘。などを手掛ける音楽プロデューサーとなったつんく♂さん。
近畿大学時代のバンド活動は、音楽だけでなく「どうすれば作品を人に届けられるのか」を実践的に学んだ重要な時期だったのかもしれません。

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