サッカー日本代表の中心選手として活躍し、現在は海外クラブでも高い評価を受けている田中碧選手。
2022年カタールワールドカップのスペイン戦で決勝ゴールを決めたことで、一気にその名前を知った人も多いのではないでしょうか。
そんな田中碧選手について、「新城高校出身って本当?」「高校時代はどんな選手だったの?」「どのようにプロになったの?」と気になる人も多いはずです。
そこで今回は、田中碧選手の出身高校や高校時代のエピソード、当時の成績、そしてプロ入り秘話まで詳しく紹介します。
田中碧は新城高校出身で川崎フロンターレU-18に所属

田中碧選手の出身高校は神奈川県立新城高校です。
神奈川県川崎市にある県立高校で、多くの生徒が通う地域の高校として知られています。
ただし、田中碧選手は高校サッカー部に所属していたわけではありません。
高校生活を送りながら、川崎フロンターレU-18でプレーしていました。
田中選手は小学3年生の頃から川崎フロンターレの下部組織に所属しており、ジュニア、ジュニアユース、ユースと順調にステップアップしてきました。
まさに川崎フロンターレ一筋で成長してきたアカデミー育ちの選手です。
近年は高校サッカーではなくJクラブのアカデミーからプロになる選手も増えていますが、田中選手もその代表的な存在といえるでしょう。
学校では一般の高校生として生活しながら、放課後や休日は全国トップレベルの環境でトレーニングを積んでいました。
現在の高い戦術理解度や正確なプレーは、この頃に培われたものだといわれています。
田中碧の高校時代のエピソードと努力の日々

現在の田中碧選手を見ると、昔から順風満帆なエリート選手だったように感じるかもしれません。
しかし実際はそうではありませんでした。
田中選手自身も後に「一番うまい選手ではなかった」と語っています。
特に大きな転機になったのが、中学3年生の終わり頃に経験した川崎フロンターレU-18の練習参加です。
当時の田中選手は自分なりに努力しているつもりでした。
しかし高校生たちと一緒にプレーした際、技術や判断力、フィジカル面などあらゆる部分で大きな差を感じたそうです。
そのときに「このままでは通用しない」という強い危機感を覚えました。
この経験が、後の成長につながる大きなきっかけになったのです。
高校進学後は自主練習の量を大幅に増やしました。
特に有名なのが公園での個人練習です。
誰かに指示されたわけではなく、自分で課題を見つけて改善を続けました。
壁当てやボールタッチ、基礎技術の反復練習を繰り返し、地道にレベルアップを図っていたそうです。
—アカデミーで成長していく過程で、中学3年の終わりから高校1年にかけて“転機”だったと言われてました。今振り返っても、改めてそう感じますか?
田中 思いますね。中学時代のそれまでの僕は、それなりにできるけど一番うまい選手じゃなかったし、自分たちの学年の中で一番うまい選手をめざしながら、まだ手が届かないなという選手だったと思います。
それが中学3年の終わり頃にU-18の練習に初めて参加して、「このままじゃダメかも。ヤバいな」と心の底から思いました。まったく手も足も出なかったことで、その時に初めて自分に危機感が芽生えました。そもそもひとつ上の学年と一緒にサッカーをするという経験をそれまでほとんどしてなかったこともあって、U-18の練習に参加したことは、大きなキッカケになる出来事でした。
—そのことで自分の行動は変わっていきましたか?
田中 変わったと思います。それこそ高校生になってから公園でよくひとりで黙々と練習してました。
—どんな練習をしていたんですか?
田中 ひたすら壁当てしてました。たまには薫さんと1対1の練習もしていたかなぁ。でも、高校時代は、基本はひとりで練習していました。
出典:川崎フロンターレ
現在の安定したボールコントロールや状況判断の正確さは、高校時代の努力の積み重ねによって作られたものといえるでしょう。
天才型ではなく努力型であることも、田中碧選手が多くのファンから支持される理由の一つです。
田中碧の成績とプロ入り秘話

高校時代の田中碧選手は川崎フロンターレU-18でキャプテンを務めました。
キャプテンに選ばれたことからも、技術だけでなく人間性やリーダーシップが高く評価されていたことがわかります。
当時から守備的ミッドフィールダーとして高い能力を発揮していました。
ボール奪取能力やポジショニング、試合全体を俯瞰して見る力に優れており、現在のプレースタイルの原型は高校時代に完成していたといわれています。
また、チームメイトからの信頼も厚く、チームの中心選手として活躍していました。
そして高校2年生だった2016年には、川崎フロンターレのトップチーム昇格が内定します。
さらに2種登録選手としてトップチームに帯同する機会も与えられました。
これはクラブが将来性を高く評価していた証拠です。
ただし、当時の田中選手は世代別日本代表の中心選手というわけではありませんでした。
全国的なスター選手として扱われていたわけでもなく、自らを「非エリート」と感じていた時期もあったそうです。
それでも努力を続けた結果、着実に評価を高めていきました。
才能だけではなく、継続的な努力によってプロへの道を切り開いたことこそ、田中碧選手の大きな魅力です。
高校卒業後は大学へ進学せず、川崎フロンターレへ正式加入しました。
その後はJリーグ優勝やベストヤングプレーヤー賞獲得、日本代表選出など数々の実績を積み重ねます。
さらにドイツ移籍、イングランド移籍を経験し、世界で戦う選手へと成長しました。
まとめ
田中碧選手は神奈川県立新城高校の出身です。
高校時代は川崎フロンターレU-18に所属し、キャプテンとしてチームを支えました。
中学時代に感じた危機感をきっかけに努力を重ね、公園での自主練習や日々の積み重ねによって大きく成長していきました。
高校2年生でトップチーム昇格が内定し、高校卒業後は川崎フロンターレへ正式加入しています。
現在では日本代表の主力として世界で活躍していますが、その原点には高校時代の地道な努力がありました。
華やかな実績の裏には、決して諦めずに努力を続けた学生時代があります。
田中碧選手の歩みは、夢に向かって努力することの大切さを教えてくれる好例といえるでしょう。

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