2026年のノーベル化学賞受賞者となった有機化学者・硤合憲三(そあい・けんそう)さん。
世界的に知られる「Soai反応」を発見した研究者ですが、「硤合憲三さんの高校はどこ?」「広島大学附属って本当?」「東大ではどんな研究をしていたの?」と気になる人も多いのではないでしょうか。
調べてみると、硤合憲三さんは広島で学生時代を過ごした後、東京大学へ進学しています。
しかし、最初から化学だけを研究しようと決めていたわけではありませんでした。
大学でさまざまな分野に触れた末に化学を選び、その後の研究経験が世界的なSoai反応の発見へつながっています。
この記事では、硤合憲三さんの高校や出身校、東大時代のエピソードからSoai反応を発見するまでの研究歴について詳しく紹介します。
硤合憲三の高校は広島大学附属で出身校はどこ?

硤合憲三さんの出身高校については、広島大学附属高等学校の出身とみられています。
硤合さんは1950年に広島県で生まれました。
東京理科大学などが公開してきた一般的な略歴では高校名まで記載されていませんが、母校同窓会の記録が出身校を確認するうえで重要な手掛かりとなっています。
広島大学附属中・高等学校同窓会「アカシア会」の記録では、2025年に行われた月例懇談会で硤合さんが卓話を行っています。
同窓会の記録では硤合さんについて「59回」と記され、同期との交流も紹介されています。
こうした母校同窓会による記録から、広島大学附属高等学校の卒業生であることを裏付ける有力な情報と考えられます。
卒業年については1969年とする資料もありますが、主要な公式略歴では確認できないため、断定せずに見る必要があります。
硤合憲三の東大時代と大学院での研究
高校卒業後、硤合憲三さんは東京大学へ進学しました。
興味深いのは、大学へ入った時点で化学を専門にすると決めていたわけではないことです。
硤合さんはさまざまな講義やセミナーに触れながら進路を考え、大学2年生の途中で化学を専門にすることを決めたと振り返っています。
その背景には、自分が最も貢献できる分野が化学ではないかという考えがありました。
1974年には東京大学理学部化学科を卒業し、その後は東京大学大学院へ進学しました。
そこで指導を受けたのが、日本を代表する有機化学者の一人である向山光昭教授です。
大学院時代にはアルデヒドの不斉反応について研究し、溶媒や温度などの条件を徹底的に検討しました。
その中ではマイナス123度という極低温で実験するなど、後の研究につながる経験を積んでいます。
1979年には東京大学大学院理学研究科化学専攻博士課程を修了し、理学博士を取得しました。
硤合憲三の研究歴とSoai反応発見まで

博士号取得後の硤合憲三さんはアメリカへ渡り、ノースカロライナ大学チャペルヒル校で研究を続けました。
立体化学の世界的研究者として知られるErnest L. Eliel教授のもとで博士研究員を務め、立体化学についてさらに経験を積んでいます。
1981年には帰国し、東京理科大学理学部応用化学科の講師に就任しました。
その後は不斉合成や有機亜鉛化合物の反応を中心に研究を進めていきます。
研究を続ける中で硤合さんが注目したのが、反応によってできた生成物そのものが触媒として働き、同じ物質を作り出す仕組みでした。
1990年には、キラル化合物が自らと同じ構造を持つ化合物の生成を促進する不斉自己触媒反応を実現します。
しかし、この段階では十分に高い選択性を得られていませんでした。
そこで研究を続け、ピリミジン系化合物を用いた反応へとたどり着きます。
そして1995年、5-ピリミジルアルカノールによる不斉自己触媒反応を発表しました。
これが現在、世界的に「Soai reaction(硤合反応)」として知られている反応です。
Soai反応では、生成物が自らの生成を促すだけでなく、ごく小さな分子の左右差を大きく増幅できることが明らかになりました。
この研究は「生命を構成する分子がなぜ一方の向きに偏っているのか」というホモキラリティーの起源を考えるうえでも重要な研究へ発展していきました。
学生時代から関心を持っていた大きな問いが、長年の実験を経て自身の代表的な研究テーマにつながったことになります。
まとめ
今回は、硤合憲三さんの高校や出身校、東大時代からSoai反応を発見するまでの研究歴について紹介しました。
硤合さんの高校については、母校同窓会の記録などから広島大学附属高等学校の出身とみられます。
その後は東京大学へ進学し、大学2年生の途中で化学を専門にすることを決めました。
東京大学大学院では向山光昭教授のもとで不斉反応を研究し、博士号取得後にはアメリカでも研究経験を積んでいます。
そして東京理科大学で研究を続け、1990年の不斉自己触媒反応を経て、1995年にSoai反応を発表しました。
世界的な研究成果は突然生まれたものではなく、学生時代から続けてきた不斉反応への研究と徹底した実験の積み重ねによって生まれたことが分かります。
硤合憲三さんの歩みは、広島で自然科学に興味を持った学生が、長年一つの問いを追究し続け、世界的な研究成果へ到達した研究人生だったといえるでしょう。

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