経済思想家として活躍し、ベストセラー『人新世の「資本論」』の著者として知られる斎藤幸平さん。
東京大学の准教授としても知られていますが、実は学生時代に東大をわずか3か月ほどで離れ、アメリカの大学へ進学した経歴があります。
そんな斎藤幸平さんについて、大学や出身校はどこなのか、なぜ東大を短期間で離れたのか気になる方も多いのではないでしょうか。
さらに、高校時代にはパンクバンドで活動していたというエピソードもあります。
そこで今回は、斎藤幸平さんの大学・出身校や東大を離れた理由、学生時代のバンド活動について詳しく紹介します。
斎藤幸平の大学・出身校まとめ

斎藤幸平さんの出身校は、東京都港区にある私立の芝中学校・芝高等学校です。
芝高校は中高一貫の男子校で、歴史ある進学校として知られています。
高校卒業後は2005年に東京大学理科二類へ入学しました。
しかし、約3か月で東大を離れ、アメリカのウェズリアン大学へ進学しています。
斎藤幸平さんの主な学歴は以下のとおりです。
- 芝中学校
- 芝高等学校
- 東京大学理科二類(2005年入学)
- ウェズリアン大学政治学部(2009年卒業)
- ベルリン自由大学大学院(2012年修士課程修了)
- ベルリン・フンボルト大学大学院(2015年博士課程修了)
2016年にはドイツで哲学の博士号を取得しました。
最終学歴はベルリン・フンボルト大学大学院の博士課程で、学士号を取得した大学はウェズリアン大学です。
日本だけでなく、アメリカやドイツでも学んできたことが分かります。
斎藤幸平が東大を3か月で離れた理由

斎藤幸平さんが東大を約3か月で離れた理由は、アメリカで幅広い分野を学びたいと考えていたためです。
高校では理系コースに所属していましたが、政治や社会問題にも強い関心を持っていました。
特に2003年に始まったイラク戦争は、社会の仕組みについて考えるきっかけになったといいます。
斎藤さんが魅力を感じていたのは、文系と理系の枠にとらわれずに学べるアメリカのリベラルアーツ教育でした。
そのため、東京大学とアメリカの大学を併願していたそうです。
東大に合格した後、アメリカ留学のための奨学金も獲得できたことから、秋にウェズリアン大学へ進学しました。
つまり、東大の授業についていけなかったのではなく、以前から希望していた海外進学を選んだということです。
なお、東大での短い在籍期間にも、哲学や政治学への関心を深める経験があったと振り返っています。
その後、2022年には東京大学大学院の准教授として着任しました。
かつて学生として通った大学に、今度は教員として戻ってきたのです。
高校まではサッカーや音楽に熱中していて、それほどたくさんの本を読んでいたわけではありませんが、大学に入ってからは本を読むことが日常でした。息をするように本を読んでいたとも言えます。岩波文庫がまとまって並んでいるような書店に行って、それこそ片っ端から買って読むような生活でした。
出典:AERA
斎藤幸平の学生時代のバンド活動と海外留学

斎藤幸平さんは高校時代、勉強だけでなくサッカーやバンド活動にも熱中していました。
特に好きだったのがパンクロックで、高校から大学時代にかけてバンド活動を続けていたそうです。
2023年の『POPEYE Web』の対談では、日本だけでなくアメリカでも少し活動していたことを明かしています。
また、若いころには金髪に革ジャンという姿だったことも、本人の対談で話題になっています。
現在の研究者としての印象とは異なる学生時代を過ごしていたようです。
さらに、好きだったパンクバンドの反戦ソングをきっかけに、政治思想への関心を深めていったと語っています。
音楽との出会いも、現在の研究につながる重要な経験だったと考えられます。
アメリカ留学中には、ハリケーン・カトリーナの被災地でボランティア活動にも参加しました。
そこで経済格差の現実を目の当たりにしたことが、資本主義への問題意識を深めるきっかけになりました。
さらに2008年の金融危機も経験し、社会の仕組みを根本から考えるようになったといいます。
その後はドイツでマルクスの思想を研究し、経済思想家としての道を歩み始めました。
まとめ
今回は、斎藤幸平さんの大学・出身校や東大を3か月で離れた理由、学生時代のバンド活動について紹介しました。
斎藤さんは芝高校から東京大学理科二類へ進学しましたが、幅広い学問を学ぶためにアメリカのウェズリアン大学へ進みました。
その後、ドイツの大学院で哲学を研究し、博士号を取得しています。
また、学生時代にはパンクバンドやサッカーに熱中していたことも分かりました。
音楽や海外留学での経験が、現在の社会問題への関心や研究活動につながっているようです。
今後も斎藤幸平さんの研究や発信に注目していきたいですね。

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