奥田瑛二は明治学院大学出身?中退の真相や俳優を目指した青春時代を詳しく解説!

奥田瑛二さんは、日本映画界を代表する実力派俳優として長年第一線で活躍しています。

俳優だけでなく映画監督や画家としても才能を発揮し、独自の表現力で多くのファンを魅了してきました。

そんな奥田瑛二さんについて、「明治学院大学出身なの?」「大学を中退した理由は?」「学生時代はどのような人物だったの?」と気になる方も多いのではないでしょうか。

実は奥田瑛二さんは明治学院大学法学部へ進学していますが、俳優になる夢をかなえるために中退という大きな決断を下しています。

この記事では、奥田瑛二さんの学歴や大学時代のエピソード、中退を決意した理由について詳しく解説します。

目次

奥田瑛二は明治学院大学出身で法学部に進学

出典:デイリースポーツ

奥田瑛二さんは愛知県春日井市で育ち、東邦高等学校を卒業した後、明治学院大学法学部へ進学しました。

現在では俳優というイメージが強い奥田さんですが、当時は父親から政治家になることを期待されていました。

父親は地元で事業を成功させ、市議会議員も務めていた人物だったことから、息子にも政治の道へ進んでほしいと考えていたそうです。

そのため奥田さんは「東京で政治を学び、将来は地元へ戻って政治家になる」と家族を説得し、上京しました。

しかし、本当の目的は幼い頃から抱き続けていた俳優になる夢を実現することでした。

小学生の頃に映画館で時代劇映画『丹下左膳』を観たことが人生の転機となり、「いつか自分もスクリーンの中で生きたい」という思いを抱くようになります。

その夢は高校時代になっても変わることはなく、高校ではラグビー部に所属して体を鍛えながら、俳優になるための準備を続けていました。

明治学院大学へ入学した後も迷うことなく演劇部へ入部し、授業や学生生活の合間を縫って芝居に打ち込む毎日を送ります。

演劇を通して表現する楽しさを実感するたびに、「本当に進むべき道は政治ではなく俳優ではないか」という思いは、ますます強くなっていきました。

奥田瑛二が明治学院大学を中退した理由

出典:NHK

奥田瑛二さんが明治学院大学を中退した最大の理由は、俳優への夢を諦められなかったからです。

大学へ進学する際には条件があり、父親と親交のあった衆議院議員・丹羽兵助氏のもとで書生として住み込み生活を送ることになりました。

書生の仕事は政治家を支える裏方で、掃除や雑務、来客対応、選挙前には大量のはがきを書くなど、多忙な日々を送っていたといわれています。

さらに選挙カーでアナウンスを担当する機会もあり、人に伝わる話し方や声の出し方を学んだ経験は、後の俳優人生にも生かされたとされています。

一方で大学では演劇活動に熱中し、政治の世界に身を置きながらも「自分が本当に情熱を注げるのは芝居だ」という気持ちは日に日に大きくなっていきました。

当時は学生運動の影響で授業や試験が通常どおり行われない時代でもあり、奥田さんにとっては将来を真剣に考える時間が増えていきます。

そして何度も葛藤を重ねた末、安定した将来よりも夢を選ぶことを決意し、明治学院大学を中退しました。

父親との約束を破ることになるため簡単な決断ではありませんでしたが、「今挑戦しなければ一生後悔する」という強い思いが、奥田さんの背中を押したのです。

奥田瑛二が俳優を目指した青春時代と下積み生活

出典:TBS

明治学院大学を中退した奥田瑛二さんは、いよいよ俳優になる夢を実現するため、本格的に芸能界への道を歩み始めます。

しかし、当時は現在のようにオーディションの機会が多い時代ではなく、劇団を訪ね歩いても募集が終わっていることが少なくありませんでした。

生活費を稼ぐためにアルバイトを掛け持ちしながら劇団へ通い、演技の勉強を続ける厳しい毎日が続きます。

それでも「俳優になる」という夢だけは決して諦めませんでした。

そんな奥田さんに大きな転機が訪れたのが、東邦高校の先輩でもある俳優・天知茂さんとの出会いです。

天知さんの付き人として撮影現場へ同行し、演技だけでなく礼儀や現場での立ち振る舞いなど、俳優として大切な姿勢を間近で学びました。

また、モデルの仕事にも挑戦し、カメラの前での表情や見せ方を身につけるなど、さまざまな経験を積み重ねていきます。

下積み時代は決して順風満帆ではなく、生活に苦労し、住む場所に困るほど厳しい時期もあったとされています。

「けれどね、思い通りにいくほど甘くない。ずいぶん長い下積みをしました」(奥田・以下同)

 夜の水商売や、船の荷揚げなどの力仕事で食いつないだが、アパートの家賃が払えずに追い出され、「代々木公園で野宿する」日々も経験した。この頃知り合って、食事の面倒をみてくれたのが、のちに結婚することになった、安藤和津さんだった。

出典:NEWSポストセブン

それでも夢を信じて努力を続けた結果、1976年に特撮ドラマ『円盤戦争バンキッド』で主演デビューを果たしました。

その後は映画やテレビドラマへの出演を重ね、『海と毒薬』や『男女7人夏物語』などの話題作で高い評価を獲得します。

さらに映画監督や画家としても活動の幅を広げ、現在では日本を代表する表現者の一人として多方面で活躍を続けています。

学生時代に抱き続けた夢を貫き、多くの苦労を乗り越えた経験が、奥田さんの深みのある演技や豊かな表現力につながっているのでしょう。

まとめ

奥田瑛二さんは東邦高等学校卒業後、明治学院大学法学部へ進学したものの、俳優になる夢をかなえるために中退しました。

父親からは政治家になることを期待され、議員の書生として生活を送りながら大学へ通っていましたが、演劇活動を通じて自分が本当に進みたい道を見つめ直します。

大学中退後は劇団を訪ね歩き、アルバイトやモデル、付き人などさまざまな経験を積みながら俳優への道を切り開いていきました。

決して恵まれた環境ではありませんでしたが、夢を諦めず努力を重ねたことが、後に映画やテレビドラマで高く評価される実力派俳優へと成長する大きな原動力となりました。

現在も俳優だけでなく映画監督や画家として幅広く活躍する奥田瑛二さん。

その歩みを振り返ると、明治学院大学での経験や中退という人生の決断、そして長い下積み時代のすべてが、現在の活躍につながっていることがよく分かります。

これからも奥田瑛二さんがどのような作品や表現活動を見せてくれるのか、引き続き注目していきたいですね。

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