狩野英孝の出身校はどこ?築館高校→日本映画学校まで学歴と国体弓道エピソード!

「ラーメン、つけ麺、僕イケメン!」のフレーズで一世を風靡した狩野英孝さん。

近年はYouTubeのゲーム実況でも人気を集めていますが、実は学生時代には弓道で国体出場という意外な経歴の持ち主なんです。

この記事では、狩野英孝さんの出身校を幼稚園から日本映画学校まで詳しくご紹介します。

さらに築館高校時代の弓道エピソードや、上京後の芸能界デビューまでの道のりも解説していきますよ!

目次

狩野英孝の出身校一覧!幼稚園から日本映画学校まで

出典:日刊スポーツ

狩野英孝さんの学歴を時系列で整理すると、以下のようになります。

鷹乃杜幼稚園からスタートし、栗駒町立尾松小学校(現:栗原市立栗駒南小学校)、栗駒町立栗駒中学校(現:栗原市立栗駒中学校)と地元宮城で教育を受けました。

高校は宮城県築館高等学校を卒業しています。

そして高校卒業と同時に上京し、日本映画学校(現・日本映画大学の前身)の俳優科に入学しました。

実は狩野さん、最初から芸人を目指していたわけではなく、俳優志望だったんですね。

ネット上では「仙台育英出身?」という噂も見かけますが、これは誤情報です。

公式プロフィールや本人の発信では一貫して築館高校卒業となっています。

仙台育英については、宮城代表として応援する投稿がニュースになったことから、誤解が広まったようです。

狩野さんは神社の家に育ち、父からは神主を継ぐことを期待されていました。

しかしそれに反発し、自分の意思で俳優の道を選んで上京したという経緯があります。

この「家の役割」から一度逃げて自分の道を選んだという背景が、後の芸能活動での粘り強さにつながっているのかもしれませんね。

築館高校時代の弓道エピソード!国体出場の実力とは?

出典:ライブドアニュース

狩野英孝さんの出身校である宮城県築館高等学校では、弓道部に所属していました。

そして宮城県代表として国民体育大会(国体)に出場するほどの実力者だったんです!

「芸人=文化部」というイメージを持つ方も多いかもしれませんが、狩野さんはガチの体育会系だったんですね。

築館高校側も、狩野さんが同校OBであることを公式サイトで明記しており、弓道部の撮影が行われたことも発信しています。

弓道は派手なスポーツではありませんが、所作・集中力・精神性が問われる競技です。

狩野さんが見せる空回りしても折れないメンタルや、失敗を笑いに変える集中力は、弓道で鍛えられた部分があるのかもしれません。

また、変な間(ま)を恐れずにいられる度胸も、弓道の精神性と関係がありそうです。

近年の番組出演でも「高校時代に国体出場するほどの腕前だった」と紹介されることがあり、この経歴は狩野さんの意外な一面として注目されています。

狩野さんは後年、自身のブログで「母校の築館高校同窓会に出席した」と書いており、地元との絆を大切にしている様子が伝わってきます。

この地元に戻れる感じがあるからこそ、視聴者にとって「知り合いの面白い先輩」みたいな親しみやすさがあるのかもしれませんね。

弓道を始めた理由について、狩野は「シンプルに、カッコ良かったんですよ。袴姿が。憧れて。モテたかった」と説明。そこで「弓道部でモテていたほかの生徒に負けないために、試合会場でやったことは?」とのクイズが出題される。

正解は、当時、並行してやっていたV系バンドが地元で大人気だったため、試合会場で「バンドのビラを配っていた」。狩野は「試合に来てた、ほかの宮城県の高校の生徒さんたちに配っていました」と語った。

出典:ライブドアニュース

日本映画学校から芸能界デビューまでの道のり!

出典:ナタリー

狩野英孝さんは2000年に上京し、日本映画学校(現・日本映画大学)俳優科に入学しました。

「芸人」ではなく「俳優志望」からスタートしている点が重要で、これが後年の演技力を伴うコントや、ドッキリでのリアクション芸を支える下地になっています。

日本映画学校を卒業後、2003年にマセキ芸能社からデビューしました。

初期は長髪で白いスーツに赤いバラを差したホスト風ルックスで、「君、仮免。僕、イケメン!」「ラーメン、つけ麺、僕、イケメン!」などイケメン押しのフレーズを繰り返す芸風で注目を集めます。

この芸の面白さは、単なるナルシスト芸ではなく、「かっこつけたいのに、どこかズレていて、結果的に笑われる」という構造にあります。

俳優志望で「カッコよく見られたい自意識」があったからこそ、笑いに転化したときに強い武器になったんですね。

デビュー後は『爆笑レッドカーペット』や『エンタの神様』といったネタ番組で存在感を強めていきました。

決め台詞が刺さる芸はテレビ向きで、「一度見たら忘れない」「言いたくなる」フレーズは口コミで広がりやすかったんです。

2009年には『爆笑レッドシアター』のレギュラーメンバーに選ばれ、短尺ネタの人からコント番組で回せる人へと成長しました。

また同じ年、『ロンドンハーツ』のドッキリ企画から50TA(フィフティーエー)という名義が誕生します。

2010年2月10日には50TA名義でアルバム『50TA』を発売し、音楽活動も展開しました。

学生時代に培った人前に立つ力と、日本映画学校で身につけた表現力、さらにお笑いで磨いたズレの演出が、音楽という別フィールドで開花したんですね。

近年はYouTubeチャンネル「EIKO!GO!!」のゲーム実況で再ブレイクを果たしています。

これも突き詰めると、学生時代からの「人前で恥をかける」「失敗を芸にできる」「演じる力」が全部つながっているんです。

まとめ

狩野英孝さんの出身校は、宮城県の築館高校から日本映画学校へと続く道のりでした。

築館高校時代には弓道で国体出場という輝かしい実績を残し、その精神力が今の芸能活動にも活きています。

日本映画学校で俳優としての基礎を学び、2003年に芸能界デビュー後は独自の芸風で人気を獲得しました。

地元との絆を大切にしながら、常に新しい挑戦を続ける狩野さんの姿勢は、多くの人に勇気を与えてくれますね!

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