テレビや書籍、教育、ゲームなど幅広い分野で活躍する謎解きクリエイター・松丸亮吾さん。その才能の原点はどこにあるのでしょうか?
今回は、松丸亮吾さんの学歴と学生時代に焦点を当て、彼がどのような経験を積んで現在の活躍に至ったのかを徹底解剖します。
幼少期から大学時代まで、松丸さんの成長の軌跡をたどりながら、謎解きクリエイターとしての才能がどのように育まれたのかを探っていきましょう。
松丸亮吾の幼少期と中学受験への道のり

松丸亮吾さんは、1995年12月19日に千葉県市川市で生まれました。
3人の兄を持つ4人兄弟の末っ子として育ち、兄の一人にはメンタリストのDaiGoさんがいます。
幼少期の松丸さんは、極端なゲーム好き・勉強嫌いだったそうです。
しかし、教育熱心な母親が設けた「一日3時間勉強したら、好きなだけゲームをしていい」というルールがきっかけとなり、自ら勉強の習慣を築いていきました。
中学受験を決意したのは小学校4年生のときでした。
テレビ番組「脳内エステ IQサプリ」を家族で視聴した際、ひらめき問題で兄弟や家族よりも早く答えを出せたことが自信につながりました。
この経験から「自分にも東大合格レベルの力があるかも」と感じ、中学受験に向けて本格的に勉強を始めたのです。
松丸亮吾の麻布中高での学生生活と東大合格までの軌跡

中学受験を経て、松丸さんは名門私立の麻布中学校・麻布高等学校(麻布中高一貫校)に入学しました。
麻布中高では、優秀な同級生たちに囲まれ、高い学習環境の中で過ごしました。
しかし、松丸さんの学生生活は決して平坦なものではありませんでした。
高校2年生のとき、母親が乳がんで亡くなるという辛い経験をします。
母親の日記に「亮吾が大学に行くところを見たい」という言葉が遺されていたことを知り、これが東大合格への強い動機となりました。
また、兄・DaiGoさんの存在も大きな影響を与えました。
「兄の弟」として見られることへの葛藤がありつつも、それが独自の道を切り開くモチベーションにもなったのです。
松丸亮吾の大学時代の活動と謎解きクリエイターへの転身、東大中退

努力が実を結び、松丸さんは東京大学工学部に進学します。
大学在学中、松丸さんは「東京大学謎解き制作集団 AnotherVision」という団体に所属し、活動の中心メンバーとなりました。
AnotherVisionでの活動を通じて、松丸さんは謎解きの企画・制作に携わり、その才能を開花させていきます。
著作『東大ナゾトレ』シリーズの監修・執筆・問題制作なども、この団体を通じて行われました。
テレビ出演のきっかけとなったのは、大学2年生のときの文化祭でした。
来場していたテレビ関係者から「脳トレ的な番組」で問題のチェックやひらめき力を見てほしいとオファーを受け、これが松丸さんのメディア進出の第一歩となりました。
その後、フジテレビ系の番組「今夜はナゾトレ」に出演。
AnotherVisionのメンバーとして顔出しで謎を出題・解説を行う形式の番組で、これにより松丸さんの知名度が一気に上がり、「謎解きクリエイター」としてのキャリアが本格的にスタートしました。
松丸さんは2025年3月、自身のXで、4年次から休学中だった東大を中退することを公表。自身が代表取締役を務める株式会社RIDDLER(リドラ)での業務に専念するということです。
「実は3年ぐらい前から、経歴に依存する仕事をしても未来はないなと思い、テレビやメディアでも『東大』という肩書をほぼ全てカットするようお願いしていたので、最近僕を知ってくれた人は初めて大学を知った、みたいなリアクションの方もいて驚きました。自分らしく、隠さず発表できて本当に良かった。自分で決めた道、全力で進みます!!」と決意をつづった。
出典:中日新聞
まとめ
松丸亮吾さんの学歴と学生時代を振り返ると、以下のような特徴が浮かび上がります。
- 幼少期からのゲーム好きを逆手に取った独自の学習法
- 兄弟との競争心が原動力となった努力
- 母親の教育方針と支えが適切な学習環境を提供
- 中学受験から東大入学まで、明確な目標設定と継続的な努力
- 大学での課外活動を通じた才能の開花と実践
- 偶然の出会いを活かしたキャリアの転換
これらの経験が複合的に作用し、松丸さんを現在の「謎解きクリエイター」へと導いたのです。
幼少期からの興味関心、家族の影響、学校での経験、そして大学時代の活動が、松丸さんの才能を育み、独自のキャリアパスを切り開くことにつながりました。
現在、松丸さんは東大発の謎解きクリエイター集団 RIDDLER 株式会社の代表として、書籍出版や教育事業、メディア出演など多方面で活躍しています。
彼の学生時代の経験と努力が、今日の成功の礎となっているのです。
松丸亮吾さんの今後の活躍にも、引き続き注目していきたいですね。
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