国民的俳優として知られる織田裕二さん。
クールで真面目、時に熱血漢なキャラクターを演じることが多い彼ですが、実は学生時代は意外にも”超ヤンチャ”だったことをご存知でしょうか?
今回は、織田裕二さんの学歴・出身校から、テニス部時代の情熱、そして「売られたケンカは必ず買う」と言われたヤンチャ伝説までをまとめてご紹介します。
意外な一面が明らかになる織田裕二さんの学生時代、ぜひ最後までお楽しみください。
織田裕二の学歴と名門校での生活

織田裕二さんは神奈川県川崎市の出身です。
彼の学歴は以下の通りです:
- 桐蔭学園小学校
- 桐蔭学園中学校
- 桐蔭学園高等学校
織田さんは幼少期から私立の名門校「桐蔭学園」に通っていました。
桐蔭学園は完全エスカレーター式の進学コースを持つ大規模な学校で、進学校としても有名です。
桐蔭学園高校の偏差値は64〜68ほどとされ、難関大学進学者も多数輩出するトップレベルの学校です。
勉強だけでなく、スポーツも盛んで、特に野球やサッカー、テニスといった競技は全国レベルの強豪として知られています。
このような環境で育った織田さんは、自然とスポーツに打ち込む日々を送ることになりました。
織田裕二のテニス部時代と挫折

織田さんがテニスを始めたのは中学1年生の時でした。
硬式テニス部に入部すると、たちまち夢中になり、毎日部活でラケットを握る生活を送るようになります。
本人も「漠然とスポーツ関係の仕事に進むんだろうな」と思うほど、テニス中心の生活だったそうです。
しかし、高校1年生の時に大きな転機が訪れます。
練習中に膝を故障し、ドクターストップがかかってしまったのです。
大好きだったテニスを諦めざるを得なくなったショックは相当大きく、本人は「自殺を考えた」とまで語るほど深刻な心境に陥ったそうです。
そんな挫折を乗り越えた織田さんは、その後テニスから離れ、新しい表現の場を見つけます。
麻雀やビリヤードに夢中になったり、友人と「Deps」というバンドを組みギター担当として活動したりしました。
スポーツで培った集中力と負けん気が、その後の芸能界での活躍の土台になったのかもしれません。
ヤンチャだった織田裕二の学生時代エピソード

織田さんは小学生の頃からとにかく気が強く、「売られたケンカは必ず買う」と友人たちから言われるほどでした。
正義感が強かったのか、単純に負けず嫌いだったのかはわかりませんが、とにかく一度火がついたら止まらないタイプだったようです。
中学時代はさらにエスカレートし、護身用にナイフを持ち歩いていたという武勇伝も残っています。
また、ある時は「靴を燃やされたら、仕返しに相手の服を燃やした」というエピソードも伝わっており、その徹底した”やられたらやり返す”精神が伺えます。
高校生になると、その気の強さはさらにパワーアップします。
友人の間では「織田に一発殴ると、必ず三発返ってくる」と言われ、「3倍返しの織田」と恐れられていたそうです。
このエピソードは有名で、ヤンチャながらも一本筋の通った彼の性格を物語っています。
高校を卒業後、織田さんはピッツバーグ大学日本校(ELIジャパン)へ進学します。
ここでは英語を中心に学んでいましたが、在学中に芸能界のオーディションを受け、俳優として活動を始めることに。
結果的に大学は中退しましたが、この選択がその後の大ブレイクにつながったのです。
スクリーンデビューは19才の時。オーディションでいきなり大役を手にすることになります。その映画は、当時原作コミックスが一世を風靡していた『「湘南爆走族』。織田さんの役は準主役の石川アキラ。原作漫画を全部読んで役になりきり、存在感たっぷりの演技で一躍注目を集めた織田さん。しかし、実はこの役を掴んだオーディションで織田さんはとんでもないことをして合格していたのです。
出典:テレビ朝日
まとめ
学生時代の織田裕二さんは、桐蔭学園で学び、テニスに熱中するスポーツマンでした。
しかし膝の故障で挫折し、バンド活動や趣味に没頭する日々を経て、最終的に俳優の道へ。
その一方で、幼少期から負けん気が強く「ケンカ上等」のヤンチャな一面も持ち合わせており、”3倍返し”の異名を取るほどの強烈なキャラクターでもありました。
これらの経験が、役者としての織田裕二を形作ったのかもしれません。
真剣に物事へ取り組み、妥協を許さない姿勢は、スクリーンの中の彼そのもの。
今後も織田さんの俳優人生を支えるのは、きっと学生時代のテニスやヤンチャ伝説で培われた「本気の生き方」なのではないでしょうか。
織田裕二さんの意外な学生時代、いかがでしたか?彼の多面的な魅力がより一層伝わったのではないでしょうか。
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