M-1グランプリ2023で準優勝を果たし、一躍全国区の人気者となったお笑いコンビ「ヤーレンズ」。
そのボケ担当である楢原真樹さんは、「同窓会に呼ばれない」「バイト先で即日クビ」といった衝撃的な過去を持つ異色の芸人として注目を集めています。
そんな楢原さんですが、学歴や出身校はどこなのか気になりますよね。
また、NSC時代はどんな学生生活を送っていたのでしょうか?
そこで今回のこの記事では、
- ヤーレンズ楢原さんの学歴と出身校
- 楢原さんのNSC時代のエピソード
- “同窓会に呼ばれない男”がM-1準優勝になるまでの道のり
主にこの3つに迫っていきます。
リサーチしてみたら、楢原さんの学生時代には驚きのエピソードが満載だったので、ぜひ最後まで読んでいってください!
それでは、早速本題に入っていきましょう!
ヤーレンズ楢原の学歴と出身校は?

ヤーレンズ楢原さんの学歴について、詳しく見ていきましょう。
楢原さんは大阪府池田市の出身で、地元の小学校から高校まで池田市内で過ごしています。
小学校・中学校は池田市内
楢原さんの出身小学校と中学校は、具体的な校名は公表されていません。
ただし、本人が「池中」と発言していることから、池田中学校出身である可能性が高いとされています。
中学時代には、現在人気声優として活躍する岩崎諒太さんと同級生だったことが明らかになっています。
特に中学2年生のときは同じクラスで、ほとんど毎日一緒に遊んでいたそうです。
2024年には「プチ同窓会」を開催し、当時の同級生の名前をひたすら挙げ合って盛り上がったというエピソードも話題になりました。
岩崎さんは「今思ったらこの人が小さい頃の”笑いの原点”だった」とコメントしており、楢原さんにとっても人を笑わせる感覚を育ててくれた大切な友人だったことがうかがえます。
一方で、YouTube企画では「中学時代の思い出TOP3」を聞かれた楢原さんが何も出てこないというオチになっており、自分の過去すらネタにしてしまう自虐性がよく表れています。
高校は偏差値37の公立高校
楢原さんの出身高校についても、具体的な校名は公表されていません。
しかし、本人が「偏差値37の高校を卒業した」と語っていることから、大阪府立池田北高校出身説が有力とされています。
池田北高校は現在は廃校になっていますが、当時の偏差値が37〜39程度だったことが条件と一致しています。
ただし、これはあくまで推測であり、楢原さん自身が校名を明言したわけではありません。
高校時代の楢原さんは、勉強が得意とはいえず、本人も「頭が悪すぎて行ける大学がない」と語っています。
指定校推薦で受験した大学にも不合格となり、浪人して勉強する選択肢は取りたくなかったため、NSCに進む道を選ぶことになりました。
高校時代の”人気のなさ”を象徴するエピソードとして有名なのが、「同窓会委員をやっていたのに、同窓会に呼ばれなかった」という話です。
バラエティ番組でこの話を披露した際にはスタジオも騒然としました。
クラスの盛り上げ役ではあったものの、「友達ができない」「人から嫌われがち」という自覚もあったという、複雑な学生時代が垣間見えます。
ただ、このエピソードが今では完全に”おいしい話”として使える武器になっているのが、芸人としてのすごいところです。
大学受験失敗からNSC大阪校28期へ
楢原さんは大学進学を目指していましたが、受験に失敗してしまいます。
「何もすることがない…」と途方に暮れていたところ、母親から「NSC行ってみたら?」と提案されたことが人生の転機となりました。
楢原さんの両親は共に教師という家庭環境で育ちました。
教師の両親が「安定」ではなく「芸人」という道を勧めるのはかなり珍しいパターンですが、子どものころから人前が好きで楽しそうにしている姿を見て、「この子はこっちの方が向いている」と見抜いていたのかもしれません。
楢原さん本人も「アイドルが親に勝手にオーディション出されるみたいな感じで、僕はお笑いに出された」とコメントしています。
また、一般的な専門学校より学費が安いという現実的な理由もあったそうです。
こうして楢原さんは、2005年頃に吉本総合芸能学院(NSC)大阪校28期生として入学し、本格的な芸人人生をスタートさせることになりました。
ヤーレンズ楢原のNSC時代と初期の活動は?

NSCに入学した楢原さんですが、最初は「専門学校みたいなノリ」で考えていたそうです。
しかし実際に入学してみると、クラスはA・B・Cに分かれ、Aクラスは上位10組ほどという明確に”評価”が付くシビアな世界でした。
この「なんとなく入った場所が、気付けば本気で戦う場所になっていた」という流れが、後のヤーレンズの”諦めの悪さ”や”継続力”と強くリンクしています。
初コンビ「すいっちひった~」時代
NSC卒業後、楢原さんは「すいっちひった~」というコンビを組んで活動を開始します。
大阪の劇場やライブで地道に活動していましたが、このコンビは長くは続かず解散してしまいました。
「パープーズ」時代の”嫌われエピソード”
大阪時代、ヤーレンズの2人は「パープーズ」というコンビ名で活動していたこともあります。
この時代には、楢原さんの”やばい過去”として語られるエピソードが大量発生します。
代表的なのが、コンビニの夜勤バイトで3年間働いていたところ、オーナーの奥さんと4時間だけ一緒にシフトに入った翌日に「楢原君、もう来なくていいよ」と突然クビを言い渡されたという”即日解雇事件”です。
本人いわく、「今までのバイト先で、店長以外の人にはほぼ嫌われてきた」とも語っており、空気を読まない発言や思ったことをそのまま口にしてしまう性格が原因だったのではと周囲から分析されています。
楢原は「ずっと働いていた家族経営のコンビニがあった」と説明。普段は夜勤で働いていたが、オーナーからのお願いで昼勤で働いたことがあったという。楢原は「オーナの奥さんと一緒に働いた。4時間働いて、次の日改めて夜勤に行ったら、オーナーに“楢原くん、もう明日から来なくていい。うちの奥さんがあいつとは一緒に働きたくないと言っている”と言われた」と明かした。
出典:スポニチ
この”嫌われ体質”も、のちにトーク番組で鉄板のネタとなり、現在のキャラクター形成に大きく貢献しています。
2011年「ヤーレンズ」結成
そして2011年9月、出井隼之介さんとコンビを組み、ついに「ヤーレンズ」が結成されます。
結成当初は大阪を拠点に活動し、2012年には『キングオブコント2012』で準々決勝進出、2014年には『ABCお笑いグランプリ』で準決勝進出を果たしました。
大阪の劇場では「暗黒時代」だったと振り返るほど苦しい時期もあり、「劇場で大いに嫌われ」ていたと本人たちは語っています。
それでも劇場に立ち続けた結果、徐々に評価されるようになっていきました。
2014年 東京進出とケイダッシュステージ所属
2014年には、活動拠点を大阪から東京へ移すという大きな決断をします。
2014年5月に関西から東京に拠点を移動し、同年8月にはケイダッシュステージ所属となりました。
東京進出後も、すぐに売れたわけではありませんが、ライブシーンでの評価は徐々に高まり、ネタ番組や賞レースで名前を見かける機会が増えていきました。
ヤーレンズ楢原がM-1準優勝になるまでの道のりは?

ヤーレンズはM-1グランプリでも着実に結果を残してきました。
2015年から2020年までは準々決勝の常連となり、2022年には準決勝進出を果たします。
そして2023年、M-1グランプリで準優勝という快挙を成し遂げました。
学生時代は「偏差値37の高校出身」「大学受験失敗」「同窓会に呼ばれない」など、どちらかといえば”報われない側”にいた楢原さん。
しかし、自虐エピソードを笑いに昇華するセンス、嫌われても折れないメンタル、劇場で嫌われても続けた”継続力”が合わさって、今や全国区の人気コンビにまで成長しました。
楢原さんの学歴や学生時代を振り返ると、高学歴ではないものの「勉強ができない」を武器にできるタイプであることがわかります。
それを隠すどころか、堂々とネタにするスタンスが魅力となっています。
また、教師の両親に育てられた”観察眼の鋭い芸人”として、学校現場の話を日常的に聞いて育ったことが、人間観察ネタや学校ネタに妙なリアリティを与えているのも大きな特徴です。
さらに、同窓会に呼ばれない、バイト先でなぜか解雇される、女性から「こんなヤバい人なかなかいない」と評されるなど、嫌われエピソードが多いのに最終的には愛されてしまうキャラも楢原さんの大きな魅力です。
一見ネガティブな要素が、すべて”面白さ”に変換されているのが、芸人としての圧倒的な強みといえるでしょう。
現在は地元・池田市の観光大使も務めており、小中の同級生である声優・岩崎諒太さんとの再会も話題になるなど、「売れたあとも地元にちゃんと顔向けできる人」として、今後もストーリーが増えていきそうです。
まとめ
今回は、ヤーレンズ楢原さんの学歴・出身校・NSC時代についてお伝えしました。
楢原さんは大阪府池田市出身で、地元の小中学校を経て偏差値37の高校を卒業し、大学受験失敗後にNSC大阪校28期生として芸人の道に進みました。
「同窓会に呼ばれない」「バイト先で即日クビ」といった衝撃的なエピソードを持ちながらも、それらをすべて笑いに変えるセンスと、嫌われても折れないメンタルで、M-1グランプリ2023準優勝という快挙を成し遂げました。
学生時代の”報われない経験”が、今では楢原さんの最大の武器となっており、今後のさらなる活躍が期待されます!

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