多くの人気作品に出演し、幅広い演技力で注目を集める俳優・中村倫也さんの学生時代はどのようなものだったのでしょうか?
また、大学中退から俳優デビューまでの経緯には、どんな秘密が隠されているのでしょうか?
今回は、中村倫也さんの学歴と俳優への転身について詳しくお伝えします。
中村倫也さんの意外な一面や、俳優としての成長の軌跡を追いながら、その魅力に迫ってみましょう。
中村倫也の中学・高校時代:サッカー少年から芸能界へ

中村倫也さんの学生時代は、意外にもサッカー漬けの毎日だったことをご存知でしょうか?
中村さんは東京都杉並区の公立中学校に通っていました。
小学校3年生からサッカーを始め、「将来はプロサッカー選手に」と夢見るほど熱中していたそうです。
中学時代は学校の部活ではなく、地域のクラブチームに所属して腕を磨いていました。
運動神経抜群の中村さんは、中学2年のスポーツテストで優秀な成績を収め、国から表彰されたほどだったとか。
しかし、勉強面でも優秀で、特に歴史と国語以外の科目が得意だったそうです。
高校は、スポーツが盛んな国士舘高等学校に進学しました。
サッカー強豪校として知られる国士舘高校を選んだのは、サッカーへの情熱からでした。
しかし、高校1年の夏頃にサッカー部を退部してしまいます。
「このままでは大好きなサッカーを嫌いになってしまう」と、退部を決意。
出典:子ども応援便り
そんな中、高校1年生の終わり頃、思いがけない転機が訪れます。
クラスメイトの知り合いを通じて、現在の所属事務所トップコートからスカウトの電話がかかってきたのです。
こうして中村さんは、高校1年生にして芸能事務所に所属することになりました。
中村倫也の日本大学芸術学部進学と中退の理由

2005年3月に高校を卒業した中村倫也さんは、日本大学芸術学部演劇学科(演技コース)へ進学しました。
演技をもっと学ぶために日大芸術学部を選んだそうで、芸能活動と学業の両立に挑戦しようと考えたのでしょう。
しかし、大学生活はわずかな期間で終わることになります。
入学した2005年の夏頃、中村さんはNHK連続テレビ小説『風のハルカ』への出演オファーをつかみます。
約8ヶ月間も大阪に滞在して長期撮影に臨む必要があり、大学の授業に出席することが難しくなりました。
中村さんは思い切って大学を中退する決断を下します。
「1単位も取らずに中退しました」と言われるほど、大学ではほとんど授業を受けないまま俳優業に専念する道を選んだのです。
わずか19歳で将来を左右する選択を迫られた中村さんですが、この判断が後のブレイクにつながっていくことになります。
中村倫也俳優デビューと下積み時代の苦悩

高校1年でスカウトされてから約3年、養成所でのレッスンと学業を両立して準備を重ねてきた中村倫也さん。
2005年、19歳のときにダンカン監督の映画『七人の弔(とむらい)』で俳優デビューを飾りました。
デビュー作となったこの映画は児童虐待や臓器提供をテーマにしたシリアスな作品でした。
中村さんは初めての現場に緊張しきりだったようで、「右も左も分からず、ただやるしかないと腹を決めた感じでした」と当時を振り返っています。
同じ2005年には、ドラマ『アンプラグド~unplugged~』で初主演も果たします。
しかし、この頃はまだ知名度も高くなく、中村さん自身「しばらくはなかなか売れなかった」と語る下積み時代が続きました。
デビュー後数年は舞台出演を中心に地道に演技力を磨き、25歳の頃には「自分には俳優の才能がないのかも」と悩んだこともあったそうです。
しかし、そうした下積みを経て着実に力を付けていった中村さんは、2010年代後半から映画やドラマで注目作への出演が増え、2018年の朝ドラ『半分、青い。』でブレイクを果たします。
まとめ
中村倫也さんの学生時代から俳優転身までの道のりをお伝えしました。
サッカー少年だった中村さんが、ふとしたきっかけで芸能界に飛び込み、紆余曲折を経てスター俳優へと成長していく物語は、多くの人の心を打つものではないでしょうか。
高校でのスカウトという偶然のチャンスを掴み、大学を中退してまで選んだ俳優の道。
その陰には並々ならぬ努力と葛藤があったことがうかがえます。
今や「ミミックオクトパス俳優」とも称される幅広い演技力で人気を博す中村倫也さん。
学生時代のエピソードを知ると、彼の人となりや俳優業への熱い思いに一層親近感が湧いてきますね。
これからも中村倫也さんの活躍から目が離せません!
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