俳優として着実にキャリアを積み重ねている寛一郎さん。
父・佐藤浩市さん、祖父・三國連太郎さんという日本を代表する俳優の血を引く彼の学歴や素顔に迫ります。
成城学園での学生時代、音楽好きな一面、そして18歳で役者の道を選んだ理由まで、詳しくご紹介していきます。
寛一郎の学歴と成城学園での学生時代

寛一郎さんの学歴について、まずは結論からお伝えしましょう。
寛一郎さんは幼稚園から高校まで成城学園の系列校に通っていたと報じられています。
高校は成城学園高等学校(内部進学)とされ、大学には進学せずに俳優の道を歩み始めました。
成城学園は自由闊達な校風で知られており、個性と自主性を尊重する教育環境が寛一郎さんの人間性形成に大きな影響を与えたと考えられます。
幼少期から一貫して同じ学園で学んだことで、人間としての芯を太くする機会を得たのではないでしょうか。
また、寛一郎さんの学生時代は、映画の世界と密接に結びついていました。
父・佐藤浩市さんの影響で、小さい頃から映画の撮影現場に足を運んでいたそうです。
この経験が、後の俳優としての姿勢や演技に大きな影響を与えていると言えるでしょう。
寛一郎の音楽好きな素顔と趣味

寛一郎さんの素顔を知る上で、欠かせないのが音楽への愛着です。
「音楽はサプリメント。常に聴いている」
これは、寛一郎さん自身のインタビューでの発言です。
10代の頃からJ-ROCKを中心に、ロックやポップスを幅広く聴いてきたそうです。
単なるBGM好きにとどまらず、心身のチューニングツールとして音楽を位置づけている点が特徴的です。
この音楽への深い愛着は、俳優としての感情表現や役作りにも良い影響を与えているのではないでしょうか。
流行歌に偏らず、少し”渋め”の曲に惹かれる感覚も持っているようで、これが作品選びの”温度”や”湿度”にも影響を与えているように見えます。
18歳で役者を選んだ理由と決意

寛一郎さんが俳優の道を選んだのは18歳のときでした。
「誰かに言われたからではない。将来を考える中で自然に決めた」
これが、寛一郎さんの決意の言葉です。
映画一家に生まれ育ったからという単純な理由ではなく、自分自身の内なる声に従った決断だったことがうかがえます。
父・佐藤浩市さんに打ち明けた際の反応が「まあ、そうか」というシンプルなものだったというエピソードも印象的です。
寛一郎は祖父・三國連太郎や父の姿を見て自然に俳優を志すようになったといい、18歳で、父に役者の道に進みたいと告白した。「実家の方で2人になれる瞬間があって。多分そこで言ったと思う」と語り、父の反応については「『そうか』ってだけです」とたった一言だったと振り返った。
出典:デイリースポーツ
この18歳での静かな決意が、寛一郎さんの俳優としてのキャリアの出発点となりました。
以降、2017年の俳優デビューを経て、『ナミヤ雑貨店の奇蹟』での演技が評価され、第27回日本映画批評家大賞新人男優賞を受賞。
2018年には『菊とギロチン』でキネマ旬報ベスト・テン新人男優賞を受賞するなど、着実に実績を積み重ねています。
まとめ
寛一郎さんの学歴と素顔、そして俳優としての道を選んだ理由について見てきました。
成城学園での学び、幼少期からの撮影現場体験、そして音楽への深い愛着。
これらの要素が、寛一郎さんの俳優としての姿勢や演技に大きな影響を与えていることがわかります。
18歳での静かな決意から始まったキャリアは、単なる家業の継承ではなく、自身の内なる声に従った選択でした。
これからの寛一郎さんの活躍に、ますます注目が集まりそうです。
映画への深い愛情を持ち続ける寛一郎さん。
今後も彼の演技や作品選びを通じて、日本の映画文化がさらに豊かになっていくことを期待したいですね。
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