平野ノラの学歴・出身校は修徳高校?バレーボール漬けの日々も不運重なり留年危機も!

「おったまげー!」「しもしも?」のフレーズでお馴染みのバブリー芸人、平野ノラさん。

派手なファッションと肩パッドが印象的な彼女ですが、その華やかなキャラクターの裏には、想像を絶するストイックな学生時代がありました。

平野ノラさんは小学生から高校卒業まで約10年間、バレーボールに全てを捧げてきたんです。

しかし、その競技人生は度重なる不運と挫折の連続でした。

この記事では、平野ノラさんの出身校や学歴、そしてバレーボール漬けだった学生時代について詳しくお伝えします。

さらに、高校時代に直面した留年危機と、そこから這い上がった奇跡のエピソードもご紹介しますよ!

目次

平野ノラの出身校は修徳高校!学歴はスポーツ推薦で進学?

出典:オリコンニュース

平野ノラさんの最終学歴は、東京都墨田区にある私立の修徳高等学校です。

出身地は東京都葛飾区で、小学校と中学校も葛飾区内の学校に通っていたと考えられます。

実は平野ノラさん、高校進学時に人生最大の危機を迎えていたんです。

中学時代、バレーボールに全てを注いでいた彼女は、学業を完全に放棄していました。

本人も「小学校、中学校とバレーしかやってなくてまったく勉強してなかったんです」と正直に告白しています。

高校受験の際、平野ノラさんは葛飾区内で最も学力レベルが低いとされる高校を志望しました。

バレーボールを辞めて、普通の高校生活を送りたいと願っていたんですね。

しかし、進路相談で先生から衝撃的な言葉を告げられます。

「いや、平野さん、あなたの成績ではそこは行けません」

最も学力レベルが低い高校への入学さえ拒否されるという、まさに「おったまげー!」な事態でした。

この絶望的な状況で、平野ノラさんに残された唯一の道はスポーツ推薦でした。

「もう『わかりました。バレーやります』って。バレーやるしかなかったんですよ」

こうして、辞めたかったバレーボールを続けることを条件に、修徳高等学校へ進学することになったのです。

選択の余地なく、再び競技生活を続けることになった平野ノラさん。

高校でもバレーボール部に入部し、キャプテンを務めることになりました。

平野ノラは小中学生時代バレーボール漬けの日々!全国大会出場も叶わず?

平野ノラさんのバレーボール人生は、小学生の頃から始まりました。

彼女が入ったのは、全国から選手が集まる強豪クラブチームでした。

その練習量は凄まじく、並外れた忍耐力と精神力を彼女に植え付けました。

しかし、小学校5年生の時、平野ノラさんは重大な自己認識の瞬間を迎えます。

「もう小学校5年生の時点でわかりましたね。才能がないっていうの」

並々ならぬ努力を続けていたにもかかわらず、プロとして競技を続けていく才能の限界を、僅か10歳という若さで冷静に判断したのです。

バレーボールの練習で耐え抜いた経験は「財産になっている」としながらも、「バレーボールで生きていくのは無理だ」と悟りました。

それでも平野ノラさんは、その後約7年間にわたって、過酷な練習と規律の世界に身を置き続けました。

中学校に進学した後も、バレーボールを続け、強豪チームでレギュラーとなり、さらにはキャプテンという重責も務めています。

しかし、彼女のバレーボール人生には、常に「不運」とも呼べる壁が立ちはだかりました。

彼女のチームは全国大会出場を目指していましたが、その夢は叶いませんでした。

「全国大会にも行けなかったんですよ。いつも勝ってるチームに都大会で負けたんですよ。悔しかったですね」

常にあと一歩のところで強豪に阻まれ続けた経験は、彼女のキャリアに「あと少しで手が届かない」という挫折感を刻み付けました。

「上の代も下の代も全国制覇してるんですよ。だけどうちの代は全国大会に行けなかったりだとか、結果がなかなか伴わなかったっていうのがまず小3から18までありますね」と悔しい経験を明かした。

出典:スポーツ報知

その代償として、彼女はバレーボールに全てを注ぎ込むあまり、学業を完全に放棄していたのです。

平野ノラは高校時代に留年危機!追試で99点獲得の奇跡?

出典:マイナビ転職

スポーツ推薦で修徳高等学校に入学した平野ノラさんでしたが、バレーボールへの注力は変わらず、学業への無関心は続きました。

その結果、高校生活でも「赤点」を連発する事態となります。

そして高校3年生の時、彼女は再び人生の岐路に立たされました。

先生から「赤点取って追試のテストで合格しなかったら留年するよ」と宣告されたのです。

バレーボールの全国大会に出場できないという「不運」は、翌年の再挑戦が可能でした。

しかし、高校の「留年」は、彼女の未来の構造全体を脅かす、絶対的な制度上の失敗を意味しました。

留年の危機に直面し、「留年なんかしたら大変だと思って」、平野ノラさんは初めて学業に対し本気の焦燥感を抱きます。

彼女は友達に数学を徹底的に教えてもらい、猛勉強に取り組みました。

その結果は驚異的でした。

追試のテストで、彼女はなんと99点という高得点を叩き出し、留年の危機を脱出することに成功したのです。

この99点という結果は、平野ノラさんが知識の習得能力に劣っていたわけではなく、単に「なぜ学ぶのか」という動機付けが欠如していたことを証明しています。

バレーボールで約10年間培ってきた「極限的な集中力と自己規律」は、一旦、それが自身の未来を守るという極めて高い利害関係と結びついた途端、瞬時に学業の分野へと転用され、爆発的な成果を生み出しました。

この成功体験は、彼女の人生観に決定的な影響を与えました。

「バレーボールでは大成しなかったが、そこで培った精神力と規律は、分野が違っても極限状況では必ず活かせる」という自己肯定感と自信の種を植え付けたのです。

これは、後に彼女が31歳でワタナベコメディースクールに入学し、お笑いという全く新しい分野へ挑戦を決意する際の、揺るぎない精神的な支柱となりました。

まとめ

今回は、平野ノラさんの学歴や出身校、そしてバレーボール漬けだった学生時代についてお伝えしました。

平野ノラさんの最終学歴は修徳高等学校で、スポーツ推薦で進学したことがわかりました。

小学生から高校卒業まで約10年間、バレーボールに全てを捧げた平野ノラさんですが、全国大会出場という夢は叶いませんでした。

高校時代には留年危機に直面しましたが、追試で数学99点を獲得し、見事に危機を乗り越えました。

度重なる挫折と不運を経験しながらも、そこで培った精神力と規律が、後のお笑い芸人としての成功につながったんですね。

平野ノラさんの人生は、不運と挫折の物語でありながら、それらを燃料にして自己を更新し続けた「不屈の魂」の勝利の物語と言えるでしょう。

今後も平野ノラさんのご活躍が楽しみですね!

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