博多大吉の学歴と出身校を徹底解剖!バスケ部・落語研究会・推薦入学の真相

お笑いコンビ「博多華丸・大吉」のツッコミ担当として活躍する博多大吉さん。

そんな博多大吉さんの学生時代ですが、バスケ部での補欠経験や落語研究会での活動、さらには推薦入学の真相など、気になる情報がたくさんありますよね?

また、博多大吉さんの出身校や学歴について、詳しく知りたいという方も多いのではないでしょうか?

そこで今回のこの記事では、

博多大吉さんの出身校と学歴

バスケ部での補欠時代のエピソード

落語研究会での活動と推薦入学の真相

主にこの3つに迫っていきます!

リサーチしてみたら、博多大吉さんの学生時代には、芸人として成功するための土台となる貴重な経験がたくさんあったので、ぜひ最後まで読んでいってください!

それでは、早速本題に入っていきましょう!

目次

博多大吉の出身地と中学時代のバスケ部補欠経験

出典:TBSラジオ

博多大吉さんは1971年3月10日生まれで、兵庫県神戸市で生まれました。

その後、2歳のときに福岡県糟屋郡古賀町(現在の古賀市)に移り住んでいます。

家庭環境としては、父親が定職につけず、母親が働いて家計を支えるという時期があったことを本人が語っています。

中学時代の博多大吉さんは、バスケットボール部に所属していました。

しかし、強豪校の部活で、1年生から3年生までひたすら補欠扱いで、水汲みなどの雑用係を回されていたそうです。

当時のあだ名は「捕虜」と呼ばれていたと、自身が語っています。

「なんで辞めなかったのか?」という問いに対し、1年のときに先輩(キャプテンになる人物)からバスケットシューズを「君にあげる」と言われたことが一つのモチベーションだったというエピソードも披露しています。

この「運動は得意ではないけれど、部活として続ける」という経験が、後の芸人としての「続ける力」や「舞台に上がる緊張感」に通じていたとも言えるでしょう。

博多大吉の高校時代と推薦入学での大学進学

高校でも博多大吉さんは、またバスケットボール部に所属していました。

本人は「バスケ部に所属しないつもりだったが、バスケ部の強豪校にいたからという理由で所属した」と語っており、高校時代も補欠という立ち位置だったそうです。

高校時代の具体的な学校名は公表されていませんが、福岡県立の高校であったとされています。

そして高校卒業後、博多大吉さんは福岡大学経済学部へ指定校推薦で入学しました。

大学進学が「推薦」というルートであることから、高校時代の成績や学校での評価がそれなりにあったことが想像できますね!

博多大吉の落語研究会での活動と芸人への道

出典:HISTORY of 博多華丸・大吉

大学では、後のコンビ相方となる博多華丸さんと出会い、2人は落語研究会に所属していました。

博多大吉さんのサークル内での高座名は「福々亭こまんど」で、華丸さんが「福々亭さろん」でした。

落語研究会の所属について、博多大吉さんは「関東ではお笑いサークルがあると雑誌で見たが、福岡大学にはお笑いサークルはなく『落語研究会』しかなかった」と語っています。

そこで先輩と後輩という師弟関係の中、名前を付けられ、稽古を重ねた厳しい環境だったと振り返っています。

ただし大学生活は順風満帆ではなく、芸人活動との両立や学費の支払いなどにも課題があったようです。

当時「大学を辞めるか、お笑いを続けるか」の二択を迫られ、最終的には学費未払いによる除籍(中退扱い)となりました。

大吉 「大学の授業があるんで抜けます」とか言ったら、「なんじゃと? あほんだら!」っていきなり怒られて。

華丸 もう、お笑い続けるか大学辞めるかの2択しかなかった。いま思うと、落研と同じやったね。

大吉 最初は楽しそうなところだけ見せられてね。

出典:婦人公論.jp

1990年にコンビを結成し、福岡県福岡市を拠点に地道な活動を続けた後、2014年には「THE MANZAI 2014」で優勝を果たすに至ります!

まとめ

今回は、博多大吉さんの学歴と出身校について、バスケ部での補欠経験、落語研究会での活動、推薦入学の真相をお伝えしました。

博多大吉さんは、中学・高校時代はバスケ部で補欠として過ごし、福岡大学経済学部に指定校推薦で入学しました。

大学では落語研究会に所属し、相方の博多華丸さんと出会い、芸人としての道を歩み始めました。

学生時代の「続ける力」や「厳しい環境での経験」が、現在の芸人としての成功につながっているのですね!

今後も博多大吉さんの活躍が楽しみですね!

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