テレビ番組で見かけない日はないほど人気を誇るお笑いコンビ「くりぃむしちゅー」の上田晋也さん。
トーク力に長け、バラエティのみならず報道や情報番組でも司会を務める彼の知性と頭の回転の早さは、多くの人に知られています。
しかし、現在の”知的芸人”というイメージとは裏腹に、学生時代には破天荒な一面を持ち、数々のトラブルと挑戦を経験してきた人物でもあります。
この記事では、上田晋也さんの生い立ちから大学生活、そして芸人としての道へ進むまでの軌跡を、学歴や当時のエピソードとともに振り返ります。
彼の意外な一面や、今の地位にたどり着くまでの背景が、より深く理解できるでしょう。
上田晋也の学歴と出身校の詳細

上田晋也さんの学歴を時系列で見ていきましょう。
・小学校:熊本市立日吉小学校
・中学校:熊本市立城南中学校
・高校:熊本県立済々黌(せいせいこう)高校
・大学:早稲田大学教育学部国語国文学科(中退)
上田さんは熊本県出身で、地元の公立学校で教育を受けています。
特に注目すべきは、高校と大学の学歴です。
済々黌高校は熊本県内でもトップクラスの進学校として知られており、偏差値は70を超えるとも言われています。
そして大学は、難関として名高い早稲田大学に進学しています。
これらの学歴から、上田さんの学力の高さがうかがえます。
上田晋也の高校時代:済々黌高校での”番長”生活

高校時代の上田さんは、学業だけでなく、ユニークな一面も持ち合わせていました。
彼の高校時代の風貌は、まさに異彩を放っていたのです。
リーゼントに剃り込み、服装も含めて当時の”番長スタイル”を貫いていたそうです。
しかし、見た目とは裏腹に「童貞番長」と呼ばれるほど憎めないキャラクターで、笑いのセンスが抜群だったことから、多くの同級生から愛される存在でした。
また、高校ではラグビー部に所属し、ポジションはロックを務めていました。
ここで現在のコンビ相方である有田哲平さんと出会い、友情を深めていきます。
グラウンドでは真剣に部活動に取り組みながらも、仲間を笑わせるような言動も多く、すでに”芸人の片鱗”を見せていたそうです。
この頃から、将来的に芸人になる夢を漠然と描き始めていたとされています。
早稲田大学での波乱万丈な学生生活

高校卒業後、上田さんは1年間の浪人生活を経て、早稲田大学教育学部国語国文学科に合格します。
しかし、大学生活は彼にとって決して順風満帆ではありませんでした。
大学では新たな友人や活動を求めて、上田さんはなんと10以上のサークルに加入します。
演劇系、放送系、スポーツ系など、ジャンルはさまざま。
しかし、驚くべきことにそのすべてで「クビ」になってしまいます。
その理由は、彼の破天荒な行動にありました。
あるサークルでは酒の席で突然下半身を露出するなどの過激な行為、また別の場では空気を読まずに暴走するトークで周囲を困惑させたとの話もありました。
結果的に、「上田さんってちょっと…」と敬遠される存在になってしまい、本人も居場所を失っていきます。
「大学生活は、ゴールデンウィークで終わっていた」と語る彼の言葉には、実際の大学での孤独や疎外感が込められています。
10個のサークルの新歓コンパに参加したものの、すべてのサークルから入会を断られたという上田晋也さん。自身の大学生活を「なんにも楽しいことがなかった」と評しました。
最終的に、上田さんは大学を中退する選択をします。
しかし、この時期の経験が、後の芸人としての表現力やトーク力の土台になったことは想像に難くありません。
まとめ:上田晋也の学歴が芸人としての成功に与えた影響
上田晋也さんの学歴と学生時代を振り返ると、以下のような特徴が見えてきます:
1. 高い学力:済々黌高校や早稲田大学への進学は、彼の知的能力の高さを示しています。
2. 個性的な性格:高校時代の”番長”キャラや大学でのサークル遍歴は、彼の独特な個性を表しています。
3. 挫折経験:大学でのサークル「クビ」や中退は、彼に重要な人生の教訓を与えました。
これらの経験が、現在の上田さんの芸風や司会力に大きく影響していると考えられます。
高い知性と独特の個性、そして挫折を乗り越えた経験が、彼のウィットに富んだトークや、場の空気を読む力、そして多様な番組での活躍につながっているのでしょう。
上田晋也さんの学歴は、単なる学校名の羅列ではなく、彼の人間性や才能を形作った重要な要素だったと言えるでしょう。
今後も、彼の多彩な才能と経験を活かした活躍が期待されます!
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