マギーの学歴まとめ|明治大学商学部卒?学生時代エピソードとジョビジョバ結成まで

俳優・脚本家・演出家として活躍するマギーさん。

女性モデルのマギーさんとは別人で、本名は児島雄一さんです。

明治大学在学中にコントユニット「ジョビジョバ」を結成し、舞台や深夜番組で注目を集めました。

小学校時代の転校をきっかけに「笑い」に目覚め、高校では文化祭の司会を務めるなど、学生時代から「舞台で勝負したい」という夢を抱いていたそうです。

今回は、マギーさんの学歴や学生時代のエピソード、そしてジョビジョバ結成までの道のりについて詳しくお伝えします!

目次

マギーの小学校・中学校時代|転校をきっかけに「笑い」に目覚める

マギーさんの小学校と中学校の校名は公表されていません。

ただし、小学5年生のときに東京の学校へ転校したことが、本人のインタビューで明らかになっています。

転校初日、マギーさんは「最初から面白いキャラでいく」と決め、わざとコケる演出で笑いを取ったそうです。

この経験が、「笑わせる快感」を強く意識するきっかけになりました。

自治体広報誌によると、小学5年生から中学卒業まで約5年間を武蔵野市で過ごしたとのこと。

中学校は「第一中学校」と表記されていますが、具体的な校名は確定していません。

中学時代の部活動や成績については、公開情報では確認できませんでした。

マギーさんは武蔵野市(特に吉祥寺周辺)を「第二のふるさとのような場所」と表現しています。

大学進学後も再びこの地域に住み、現在は自分の子どもが市内の小中学校に通っているそうです。

この時期の転校体験が、後の「笑い」への志向を形作る重要な転機となったことは間違いありません。

マギーの高校時代|兵庫県立御影高等学校で「舞台で勝負したい」と決意

出典:映画.com

マギーさんの出身高校は、兵庫県立御影高等学校です。

同窓会「清明会」の会報に、マギーさん本人が「笑い合っていた日々」というタイトルで寄稿しており、高校時代のエピソードが詳しく語られています。

入学当初はサッカー部に入部しましたが、レベルの高さから三軍となり、1年で退部。

その後はバンド活動や試験勉強に力を入れたそうです。

マギーさんが「一番の財産」として挙げるのは、「オモロいこと最優先」という”センス”でつながる友人関係です。

教室を「ステージのようだった」と回想し、運動能力や見た目よりも「笑い」を重視する仲間たちとの日々が、後のキャリアに大きな影響を与えました。

文化祭では、バンド演奏だけでなく、クイズ大会やフィーリングカップルの司会も担当。

前日の高揚感と当日の達成感が強く記憶に残っているといいます。

この寄稿で特に重要なのは、「東京に行って舞台でオモロいことをやってみたい」という決意を固めたと明言している点です。

高校時代の経験が、単なる思い出ではなく、明確な「志」として結晶化していたことがわかります。

後述する大学でのコントユニット旗揚げは、この高校期の志向の延長線上にあると言えるでしょう。

マギーの大学時代|明治大学商学部でジョビジョバを結成

出典:ジョビジョバオフィシャルサイト

マギーさんの出身大学は、明治大学商学部です。

明治大学の公式ページ(卒業生紹介)で「1997年商学部卒業」と明示されています。

入学年は公表されていませんが、1992年時点で大学1年生だったことが確実なため、標準4年より長く在籍し、1997年に卒業したと推定されます。

大学内での活動母体は、演劇サークル「騒動舎」です。

1992年、明治大学演劇サークルの1年生のみで構成されたユニットとして「ジョビジョバ」を旗揚げ。

在学中にマギーさんが作・演出を務める男6人組として本格始動しました。

本人は「大学の演劇サークルに入った際、同じ一年生として出会ったのが6人だった」と振り返り、制作手法も「学生時代のノリそのまま」だったと述べています。

ジョビジョバの創作スタイルは、「断片的なキーワードを持ち寄り、議論し、最後にマギーさんが台本にまとめる」というもの。

さらに、書く前にアドリブで何度も演じて形にするという手法が、すでに学生期に確立されていました。

この「集団で議論し、最終的に自分が台本にまとめる」というスタイルが、後の脚本家・演出家としてのキャリアの基盤となっています。

ジョビジョバ結成から活動休止まで|舞台・深夜TV・映画化の軌跡

出典:HMV&BOOKS

ジョビジョバは、1992年の旗揚げから、舞台→深夜TV→映画化という多媒体展開を経て、2002年末に活動休止しました。

1995年には代表作『ジョビジョバ大ピンチ』を初演し、「パルテノン多摩小劇場フェスティバル’95」で複数部門を受賞

この作品は、脚本・演出が児島雄一(マギーさんの本名)名義で、小劇場における”登竜門”として高く評価されました。

1998年以降は、フジテレビの深夜番組『さるしばい』『ロクタロー』などに出演し、知名度を拡大。

『ロクタロー』の公式ページでは、ジョビジョバを「芸人でも役者でもない新しいタイプのコメディアン」と位置付けています。

ショートコント連続の30分番組として、小劇場的な”集団芸”を家庭に持ち込む試みが注目を集めました。

2000年には、『ジョビジョバ大ピンチ』が映画『スペーストラベラーズ』として映画化。

監督は本広克行さん、脚本は岡田惠和さんで、マギーさんは原作者としてクレジットされています。

同年には初の全国ツアーも実現し、映画化が舞台展開の追い風となりました。

2001年には、マギーさんの初監督作品『ショコキ!』が公開。

脚本は本名(児島雄一)クレジットで、エレベーターに閉じ込められた人々の人間模様を描いたシチュエーション・コメディです。

この作品により、マギーさんの肩書は「俳優」から「作り手(脚本・演出)」へ比重を移し始めました。

2002年12月、ジョビジョバは『simple soul』をもって活動休止。

本人は「お世話になった事務所から離れること」「6人で活動する限界が見えてきたこと」などを理由に挙げ、実質的には”解散のつもりだった”と述べています。

活動休止後は、俳優・脚本・演出・コラム連載など多方面で活動を展開し、『ブスの瞳に恋してる』『山田太郎ものがたり』『親孝行プレイ』『こちら葛飾区亀有公園前派出所』などの脚本を手がけています。

まとめ

今回は、マギーさんの学歴や学生時代のエピソード、そしてジョビジョバ結成までの道のりについてお伝えしました。

小学5年生の転校をきっかけに「笑い」に目覚め、高校では文化祭の司会などを通じて「舞台で勝負したい」と決意。

明治大学商学部在学中にコントユニット「ジョビジョバ」を結成し、舞台・深夜TV・映画化という多媒体展開で注目を集めました。

2002年の活動休止後は、俳優・脚本家・演出家として多方面で活躍し、数々のヒット作を生み出しています。

学生時代から培った「集団で議論し、最終的に自分が台本にまとめる」という創作スタイルが、現在のキャリアの基盤となっていることがわかります。

今後もマギーさんの活躍から目が離せませんね!

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