たくろう赤木裕の出身校は?大学は京都産業大学、私立高校進学の真相も|学生時代の挫折と反骨心

お笑いコンビ「たくろう」のボケ担当・赤木裕さんの学歴が気になる方も多いのではないでしょうか?

2025年のM-1グランプリ決勝進出で一気に注目を集めた赤木さんですが、実は大学卒業後に芸人の道へ進んだという異色の経歴の持ち主です。

本記事では、赤木裕さんの出身校について本人の証言を元に徹底調査しました。

大学は京都産業大学と明言されていますが、高校については「滋賀県の私立高校」という情報のみで学校名は未確定です。

さらに、公立高校受験の失敗、野球部での挫折、笑いで生き抜いた学生時代のエピソードまで、赤木さんの芸風につながる学生時代の物語をお届けします。

目次

たくろう赤木裕の出身校は?大学と高校を本人証言から確認

出典:スポニチ

赤木裕さんの学歴について、まず確実な情報から整理していきます。

大学は京都産業大学で、これは本人が複数のメディアで明言しています。

赤木さんは自身の連載内で「僕は大卒です。京都産業大学を卒業してNSCに入りました」とはっきり語っています。

さらに別のインタビューでも「とりあえず京都産業大学に入学しました」と大学進学の流れを振り返っており、一次情報として非常に信頼性が高い情報です。

一方で高校については、「滋賀県の私立高校」という情報は本人が明言していますが、具体的な学校名までは確定していません。

赤木さんは「滋賀県の公立高校の受験に失敗して私立高校に入りました」と自身のコラムで語っています。

Wikipedia等では具体的な学校名が記載されていますが、同ページ自体に出典不足の注意もあるため、本人が直接語っている情報を優先すべきでしょう。

小中学校についても二次情報が中心で、断定は慎重にすべき状況です。

ただし、赤木さんが小学6年生の文化祭で漫才をした経験や、中学時代に笑いで危機を回避していたエピソードは本人が語っており、学生時代の人間形成を知る上で重要な情報となっています。

たくろう赤木裕の私立高校進学の真相|公立受験失敗から野球部マネージャーへ

赤木裕さんの高校時代は、挫折と役割転換の連続でした。

塾に通っていたにもかかわらず滋賀県の公立高校受験に失敗し、私立高校へ進学することになった赤木さん。

本人は「恥ずかしかった」と当時の心境を振り返っています。

入学後すぐに野球部に入部しますが、そこで待っていたのは厳しい現実でした。

その高校はスポーツに力を入れており、野球部員は硬式経験のある推薦組ばかり。

中学の軟式で補欠だった赤木さんは「悪い意味で一線を画していた」と表現しています。

そして象徴的な出来事が起こります。

監督から「マネージャーになったらどうや?」と勧められた瞬間、バッティングマシンでボールが当たり、握っていたバットが吹っ飛んだのです。

赤木さんはテンパって本当はなる気がないのに「はい!」と返事してしまい、慌てて逃げました。

しかし春の大会敗退後に「これが最後や、マネージャーなってくれ」と改めて言われ、気持ちが折れてマネージャーになることを決意します。

このエピソードは、赤木さんの挙動不審さが作り物ではなく昔からの反射であることを示しています。

さらに「選手として勝てない場所で、役割を変えてチームに残る」という選択が、そのまま芸人キャリアに重なっているのです。

そして赤木さんらしいオチがあります。

「毎日選手の飲むポカリをタンクで作っていたので、粉ポカリを目分量で最適な味にする技術が身につきました」

努力の方向性が、なぜそこに行くのか。

こういうズレの面白さが、もう高校の時点で完成していたのです。

たくろう赤木裕の学生時代の挫折と反骨心|笑いで生き抜いた中学・高校・大学

出典:デイリースポーツ

赤木裕さんの学生時代は、笑いが「生きる術」として機能していた時期でした。

小学6年生の頃、文化祭のような行事で漫才をした経験があります。

当初4人いたメンバーが本番直前に2人抜けるというトラブル込みで舞台に立つことになり、「予定が崩れてもやるしかない」という状況を経験しました。

中学時代は特に生々しく、いじめられそうになる前にヤンキーを笑わせ、太鼓持ちをして危機を回避していたと語っています。

番長的存在の武勇伝を何度も聞き、いいリアクションをする。

そのうえで自分のおもしろトークを出して機嫌をうかがい、懐に入ることで生き延びていました。

これは単なる自虐エピソードではなく、のちの「たくろう」の漫才構造に通じる人間観察の成果なのです。

怖い状況で真正面から戦わず、相手の気分を読み、空気をいじって生存する。

赤木さんの笑いは、早い段階から「戦う」より「すり抜ける」ものでした。

京都産業大学に進学した赤木さんは、知り合いが1人もいない状態で入学式を迎えます。

小中高と野球部という濃いコミュニティに属していたため、この孤独は特に強く感じられたようです。

僕の大学生活は知り合いが1人もいないところからスタートしました。
小、中、高と野球をやっていて野球部の中で群れていたので、群れに属さない状態で迎える入学式は、なぜかベットの下に入ってしまって半年間誰にも気付かれないロキソニンの錠剤くらい孤独な気持ちでした。

出典:Fany Magazine

この「群れに属さない状態」の経験は、芸人にとって武器になります。

周囲の顔色を見る、場の構造を読む、空気に遅れないように仮のキャラを置く。

中学の太鼓持ち戦略とも地続きで、大学でさらに洗練されていったのです。

京都産業大学卒業後、赤木さんはNSC大阪校37期として吉本の養成所へ進みます。

大学まで出てから芸人というルートは遠回りに見えるかもしれません。

しかし赤木さんの場合、学生時代に積み上がったもの、野球部の上下関係、役割変更、孤独、笑いによる危機回避が、芸の土台として効いています。

結果的に遅れてきた分、素材が濃いタイプになったのです。

まとめ

たくろう赤木裕さんの出身校について、大学は京都産業大学と本人が明言しており確定情報です。

高校は滋賀県の私立高校と語られていますが、具体的な学校名は本人の一次情報では確認できませんでした。

公立高校受験の失敗、野球部での挫折からマネージャーへの転向、笑いで危機を回避した中学時代など、学生時代のエピソードは現在の芸風に直結しています。

赤木さんの挙動不審さや、場の空気を読んで生き抜く力は、学生時代に培われた生きる術そのものだったのです。

2025年のM-1グランプリ決勝進出で注目を集める赤木裕さんの、今後の活躍が楽しみですね。

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