フットボールアワーの後藤輝基さんといえば、MCとしても芸人としても引っ張りだこの人気者ですよね。
そんな後藤輝基さんですが、学歴や出身校が気になる方も多いのではないでしょうか?
実は後藤さん、中学卒業時には「高校に行かずに芸人になりたい」と考えていたそうです。
また、大学受験に失敗して浪人生活を送った後、NSC(吉本総合芸能学院)に入学するという転機もありました。
そこで今回のこの記事では、
- 後藤輝基さんの学歴・出身校
- 高校進学を迷った中学時代のエピソード
- 浪人からNSC入学までの経緯
- 初期のコンビ遍歴とフットボールアワー結成
主にこの4つに迫っていきます。
リサーチしてみたら、後藤輝基さんの学生時代には進路をめぐる葛藤があり、その選択が今のMCとしての力につながっていることが分かったので、ぜひ最後まで読んでいってください!
それでは、早速本題に入っていきましょう!
後藤輝基の学歴・出身校一覧

まずは後藤輝基さんの学歴と出身校を一覧で見ていきましょう。
後藤輝基さんの出身校は以下の通りです。
- 小学校:大阪市立東淡路小学校
- 中学校:大阪市立柴島(くにじま)中学校
- 高校:大阪府立山田高等学校
- 高校卒業後:大阪北予備校に在籍(のち中退)
- NSC:吉本総合芸能学院(NSC)大阪校14期
後藤さんは大学には進学していません。
高校卒業後は大学受験に失敗し、浪人して予備校に通いましたが、その後NSCに入学して芸人の道を歩み始めました。
地元大阪の公立小・中学校から府立高校へと、ごく一般的な学歴に見えますが、その裏には「芸人になりたい」という強い思いがあったんですね。
高校進学を迷った後藤輝基の中学時代のエピソード

後藤輝基さんは中学卒業時に「高校には行かず芸人になりたい」と考えていたそうです。
中学卒業のタイミングは、人生で初めて「進学する/働く/別の道へ行く」を現実に考えさせられる節目ですよね。
そこで「高校より先に芸人」という発想が出てくるのは、相当早い時期から芸人への憧れがあったということでしょう。
しかし、親に反対されて進学を選んだとのこと。
高校になると中学のときより楽器やってるやつが多くて、高校入って友達になったやつの家に行ったら、「俺買ってん」ってストラトが置いてあったりして。通販の2万くらいのね。それで、「エレキ教えてや」みたいなことは多かったです。
出典:ローリングストーン
ここで無理やり押し通さず、いったん高校に進むという選択をしたのは、今の後藤さんの芸風にもつながっているように感じます。
「強引にねじ伏せない」「場の空気を読んで、最適な出口を探す」という後藤さんのMCスタイルは、この時の経験が原点なのかもしれませんね。
後藤輝基の浪人からNSC入学までの経緯
後藤輝基さんは大阪府立山田高等学校を卒業後、大学受験に失敗して浪人しました。
その後、大阪北予備校に在籍しましたが、途中で中退してNSC(吉本総合芸能学院)大阪校14期に入学しています。
予備校を途中でやめてNSCへ行った際、親には事後報告だったという話もあります。
浪人というのは不思議な時間で、「次こそは」という建前がありながら、心のどこかで「別の道」がうごめくものです。
後藤さんの場合、浪人と予備校の時間は、単に受験に再挑戦するためではなく、「芸人になる」を現実の選択肢として確定させるための移行期間だったのでしょう。
さらに、NSCでは学費未納を理由に退学処分の扱いになったものの、本人は通い続けたというエピソードもあります。
進路を切り替えるときは、お金も人間関係も不安定になりますが、それでも「行く」と決めたら前に進む。
後藤さんの”折れない感じ”は、こういう場面で鍛えられたのかもしれませんね。
後藤輝基の初期のコンビ遍歴とフットボールアワー結成

NSCに入ってすぐ、後藤輝基さんは同期の天満国男さんとコンビを組み、のちに「エレキグラム」と改名しましたが、1999年に解散しています。
ここで面白いのは、後藤さんが当時「ボケ」も担当していたという点です。
今の「例えツッコミ職人」像からは意外ですが、芸人の初期は立ち位置が固定されていないことが多いんですね。
むしろ、ボケ側の感覚を持っていたからこそ、後にツッコミへ転じたとき「ボケの逃げ道」「笑いの着地点」を設計できるツッコミになったのかもしれません。
そして1999年、後藤さんは岩尾望さんとフットボールアワーを結成しました。
後藤さんは、岩尾さんのキャラクターを活かすためにボケからツッコミへ転向したとされています。
自分が目立つ場所に固執せず、”勝ち筋”のある布陣を組む。
この設計思想が、後の”司会者・後藤”に直結しているんですね。
フットボールアワーは2003年のM-1グランプリで優勝し、全国的に知られる存在になりました。
さらに後年、後藤さんはMCとしての評価を高め、バラエティの中心に立つ機会が増えていきました。
学生時代の分岐(進学/浪人/NSC)で培った、説明責任、逃げ道の設計、決断のタイミングといったものが、全部”回し”の技術に転換されているように見えますね。
まとめ
今回は、後藤輝基さんの学歴・出身校についてお伝えしました。
後藤輝基さんは、大阪市内の公立小・中学校から大阪府立山田高等学校へ進学し、大学受験に失敗後、浪人を経てNSC(吉本総合芸能学院)大阪校14期に入学しました。
中学卒業時には「高校に行かずに芸人になりたい」と考えていましたが、親の反対でいったん進学を選択。
その後、浪人と予備校の時間を経て、「芸人になる」という夢を現実の選択肢として確定させ、NSCへの道を選びました。
初期のコンビ「エレキグラム」では「ボケ」も担当していましたが、1999年に岩尾望さんとフットボールアワーを結成し、「ツッコミ」へ転向。
2003年のM-1グランプリ優勝を経て、現在ではMCとしても高い評価を得ています。
後藤輝基さんの学歴は、単なる出身校の羅列ではなく、「選択の履歴」として見ると、今の活躍につながる物語が見えてきますね!

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