お笑いコンビ「真空ジェシカ」のボケ担当・川北茂澄さん。
M-1グランプリの常連として知られる川北さんですが、実は書道八段・剣道三段という文武両道の経歴の持ち主なんです。
さらに慶應義塾大学出身の高学歴芸人としても注目されていますが、どのような学生時代を過ごしてきたのか気になりますよね?
そこで今回のこの記事では、
- 川北茂澄さんの小学校から大学までの学歴
- 書道八段・剣道三段を取得した経緯
- 慶應お笑いサークルでの活動と真空ジェシカ結成まで
主にこの3つに迫っていきます。
リサーチしてみたら、川北さんの学生時代のエピソードが今の芸風につながっていることがわかったので、ぜひ最後まで読んでいってください!
それでは、早速本題に入っていきましょう!
真空ジェシカ川北茂澄の学歴一覧|地元埼玉から慶應SFCまで

まずは真空ジェシカ・川北茂澄さんの基本プロフィールと学歴の全体像からご紹介します。
本名は川北茂澄(かわきた・しげと)で、1989年5月23日生まれの埼玉県入間郡三芳町出身です。
所属事務所はプロダクション人力舎で、趣味・特技には野球観戦(埼玉西武ライオンズ)、日本習字八段、剣道三段、ぷよぷよなどがあります。
川北さんの出身校を並べると、次のようになります。
- 小学校:三芳町立唐沢小学校
- 中学校:三芳町立三芳東中学校
- 高校:埼玉県立川越高等学校(偏差値69前後の進学校)
- 大学:慶應義塾大学 総合政策学部(SFC)
いわゆる「高学歴芸人」としてもよく紹介される組み合わせで、コンビとしても川北さんが慶應、相方のガクさんが青山学院大学卒という”W高学歴コンビ”なんです。
ここからは、小・中・高・大学と年代順に、書道・剣道・お笑いサークル・卒論・初期芸歴までを掘り下げていきます!
真空ジェシカ川北の小学生時代|やんちゃな少年と書道八段への道のり

唐沢小学校でのびのび育った少年時代
川北さんの出身小学校は、三芳町立唐沢小学校です。
地元の小学校で、かなりやんちゃな少年だったエピソードが紹介されています。
女子を追いかけ回したり、やんちゃが過ぎて先生に叱られることもあったそうです。
その様子を見かねた担任により、両親が呼び出されたこともあったとか。
後に「尖った芸風」で知られる川北さんですが、すでに小学生の頃から”空気を読まない悪ガキっぽさ”と”目立ちたがり気質”が顔を出していたのかもしれませんね。
モー娘。吉澤ひとみとの近所エピソード
同じく唐沢小学校の卒業生である元モーニング娘。の吉澤ひとみさんと、同じ登校班だったという話も有名です。
吉澤さんの住むマンションの上の階に住んでいて、登校班が一緒で2年ほど一緒に通学していた時期があったと本人がTwitterで言及しています。
さらに、カブトムシを吉澤さんのベランダに落としてしまい、親と一緒に謝りに行ったという微笑ましい失敗談も残っています。
まだ芸能界に入る前の川北少年が、のちにアイドルになる先輩の家に謝りに行っていたというエピソードは、印象的な小ネタですね!
書道との出会いと日本習字八段への道
川北さんは日本習字八段の資格を持っており、プロフィールでも特技として「日本習字(八段)」と明記されています。
日本習字の生徒部における八段は、最高位クラスの段位です。
そこまで上り詰めるには、長年の積み重ねが必要とされています。
一部の学歴系サイトでは、「日本習字も八段ということなので、小学生の頃から習っていたのではないか」と推測されています。
公的なインタビューで「小学生から書道を始めた」と明言しているソースは見当たりませんが、長年の継続が必要な八段位を取得していることから、小学生時代から書道に打ち込んでいた可能性が高いと言われています。
真空ジェシカ川北の中学時代|人生の絶頂期とお笑いの目覚め

三芳東中学校で地区優勝と応援団長を経験
中学校は三芳町立三芳東中学校に進学しました。
この頃の川北さんは、剣道の地区大会で優勝し、応援団長や合唱の指揮者を務めるなど、学校の中心的存在だったそうです。
「人生の絶頂期は中学時代」とも言われるほど輝いていた時期だったようですね。
「剣道では地区優勝」「応援団長も経験」と並べると、運動・リーダーシップ・目立ちたがりのすべてを兼ね備えた中学生だったことが伝わってきます。
小学3年生から始めた剣道と剣道三段取得
剣道を始めたのは小学3年生の時でした。
そこから継続的に続け、のちに剣道三段まで取得しています。
中学では地区大会優勝を果たし、現在もイベントなどで防具姿を披露することがあります。
YouTubeや企画ライブでは、芸人仲間とガチの剣道対決を行う企画もあり、真剣な試合で5分以上竹刀の音だけが響くという”ガチの剣道コンテンツ”が展開されています。
ヤンキー揃いの他校剣道部と練習試合をしたエピソードが切り抜き動画になるほど、学生時代の剣道経験は今でもネタやトークの源泉になっているんです。
あるある探検隊パロディでお笑いの面白さに目覚める
中学時代を象徴するのが、「レギュラーの『あるある探検隊』パロディ」のエピソードです。
中学生の頃、レギュラーの”あるある探検隊”のパロディネタを考えて披露したところ、これがウケにウケたそうです。
この経験で、「お笑いってこんなに楽しいのか」と目覚め、その後自作コントをし始めたと言われています。
いわば、「初めてウケた瞬間」=お笑い芸人を志すきっかけだったわけですね!
真空ジェシカ川北の高校時代|川越高校での剣道部と文化祭エピソード

埼玉県屈指の進学校・川越高校へ進学
高校は埼玉県立川越高等学校に進学しました。
公立進学校の「四天王」とも言われる県内トップクラスの男子校で、偏差値はおよそ69です。
伝統ある男子校で、国公立や早慶を多数輩出する進学校として知られています。
アナウンサーなど、著名人卒業生も多数輩出しています。
中学時代の”人生絶頂”からそのまま勉強も頑張り、しっかり進学校に進むあたりが、のちに「高学歴芸人」と呼ばれる下地になっているんですね。
剣道部に所属しながら文化祭でお笑いを披露
高校では剣道部に所属していたことが、複数のサイトで紹介されています。
川越高校の剣道部に入部し、剣道三段の腕前を磨き続けました。
一方で、文化祭ではレギュラーの「あるある探検隊」を披露し、場を沸かせたとされています。
O-keis公式ブログの「川北だっちゃ」という記事では、高校の剣道部時代に3日で辞めたくなったが、団体として関東大会に出場するまで続けたといったセルフプロフィールが書かれています。
剣道では本気で稽古、文化祭ではお笑いで目立つという二面性=文武両道&お笑いも全力な高校生だったことがわかりますね!
浪人時代|四谷学院での1年間と慶應SFC合格
川越高校卒業後は、すぐに大学進学…ではなく、1年間の浪人生活を送っています。
予備校は四谷学院池袋校で、そこで1年勉強し、慶應義塾大学総合政策学部(SFC)に合格しました。
合格発表を見に行った際に撮影された写真が、慶應義塾大学のホームページに掲載されたというエピソードも紹介されています。
この浪人期の経験が、のちのインタビューで「大学受験が自分の価値観を変えた」と語られており、賞レースへの向き合い方ともリンクして語られています。
部活に打ち込んだ高校時代から一転、浪人生活では勉強漬けの毎日を送り、そのがんばりが慶應SFC合格につながったんですね。
真空ジェシカ川北の大学時代|慶應お笑いサークルO-keisと真空ジェシカ結成

慶應義塾大学総合政策学部へ進学
川北さんの最終学歴は、慶應義塾大学総合政策学部(SFC)卒業です。
総合政策学部は、湘南藤沢キャンパス(SFC)にある文理融合型の学部で、偏差値は70超えとも言われる難関学部です。
高校〜浪人を経て、見事に難関学部への進学を果たしています。
名門お笑いサークルO-keisに所属
大学では、慶應の名門お笑いサークル「慶應義塾大学お笑い道場O-keis」に所属しました。
O-keisは多くのプロ芸人を輩出してきた大学お笑い界の名門サークルで、後輩世代にはM-1王者・令和ロマンも在籍していたことで知られています。
川北さん自身は「O-keisのカリスマ」と語られることもあるそうです。
O-keisのOBページなどには、「12年度卒 川北茂澄」、ピン名「川北」、コンビ名「真空ジェシカ」といった記載が残っていて、学生芸人としての活動がしっかりと記録されています。
青学ナショグルのガクと出会い真空ジェシカ結成
相方・ガクさんは、青山学院大学「ナショグルお笑い愛好会」出身です。
慶應O-keisと青学ナショグルは、大学お笑いの世界で交流が盛んで、合同ライブなどを通して川北さんとガクさんは学生時代に出会いました。
大学時代、川北さんは最初からガクさんと組んでいたわけではなく、O-keis内で別の相方とコンビを組んで活動していた時期もありました。
しかし、川北さん自身は「将来は芸人になりたい」という思いが強かった一方で、当時の相方は芸人志望ではなかったため、コンビは解散しました。
その後、青学ナショグルで活動していたガクさんとコンビを組み、2011年1月15日に大学生ながら「真空ジェシカ」を結成したとされています。
正式な事務所所属は2012年5月ですが、それ以前から学生芸人としてテレビ番組『学生HEROES!』などに出演し、プロダクション人力舎からスカウトを受けた形です。
卒論はまさかのフリップネタ提出
慶應義塾大学総合政策学部の卒論で、川北さんが提出したのは、驚きの「フリップネタ」でした。
インタビューで本人が詳細を語っています。
卒論はファイル形式で提出しなければならなかったため、当時ピンでやっていたフリップネタを写真に撮り、Wordに貼り付けたそうです。
1枚ずつのフリップの下に「これはデシリットルの弟子ですね」といったボケの説明を書き足して提出し、タイトルだけは「研究」と付けて卒論として受理してもらったとのこと。
いわく、「『R-1ぐらんぷり』準決勝前で、『R-1と卒論どっちが大事だ?』と考えたら、どう考えてもR-1だった」とのことで、お笑いと学業のせめぎ合いの中で、「じゃあネタを卒論にしてしまえ」という、まさに川北さんらしい選択をしたわけです!
—川北さんはフリップネタで卒業論文を書いたそうですが、どのような内容でしたか?
川北: 完全に「フリップネタ」を出しましたね。ファイル形式で提出しなきゃいけなかったんで当時ピンでやっていたネタを写真で撮って、Wordにそのまま貼り付けて、下の方に「これはデシリットルの弟子ですね」とか書いて。そういうのをいっぱいやって提出しましたね。
ガク: ただただネタだけを提出したの?研究っぽくしたとかではなく?
川北: そうですね。フリップネタを出しましたね。あ、でもタイトルは一応「研究」ってつけたけど。
ガク: (笑)。
川北: タイトルではじかれちゃうから。一応見てほしいんで。
ガク: タイトルさえ通れば(笑)。
川北: そのときちょうど『R-1』準決勝前で、「『R-1』と卒論、どっちが大事だ?」と思ったらどう考えても『R-1』だったんで(笑)。じゃあネタを見てもらおうと思って提出しましたね。
出典:ワラパー
まとめ
今回は、真空ジェシカ・川北茂澄さんの学歴と経歴についてお伝えしました。
川北さんは、埼玉県の地元小中学校から県内トップクラスの進学校・川越高校を経て、浪人を経験した後に慶應義塾大学総合政策学部に進学されています。
小学3年生から始めた剣道は三段まで取得し、書道は八段という文武両道の経歴を持ち、中学時代の「あるある探検隊」パロディでお笑いの面白さに目覚めました。
大学では名門お笑いサークルO-keisに所属し、青学ナショグルのガクさんと出会って真空ジェシカを結成し、卒論はフリップネタで提出するという型破りなエピソードも残しています。
現在はM-1グランプリの常連として活躍し、書道・剣道の特技もライブ企画で活かされるなど、学生時代の経験が今の芸風の土台となっているんですね!

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