女優・古川琴音さんの演技力が話題を呼んでいます。その演技力の源泉はどこにあるのでしょうか?
今回は、古川琴音さんの学歴と、中学時代から続けてきた演劇活動の軌跡を詳しく解説します。
立教大学での専攻や、英語劇サークルでの活動など、意外な事実が明らかになりました。
イントロ——”飽きっぽい私”を動かし続けたのは、舞台だった古川琴音

古川琴音さんは、自身を「飽き症」と評しながらも、演劇だけは続いたと繰り返し語ります。
子ども時代の習い事は長続きしなかったのに、中学で演劇部をつくり、高校・大学でも舞台に立ち続けた——。
その背景には、「舞台を学問として捉える」姿勢と、英語劇で”音から感情”へ積み上げる訓練がありました。
古川さんの学歴と演劇活動の軌跡を、時系列に沿って見ていきましょう。
古川琴音の中学時代——ないなら作る:演劇部の”0→1″

古川琴音さんが入学した中学校には演劇部がありませんでした。
しかし、彼女は諦めませんでした。顧問の先生に直談判し、自ら部を立ち上げたのです。
同期はわずか3人。卒業公演では先生も舞台に上がる4人体制でした。
そんな少人数ながら、取り上げたのは野田秀樹『赤鬼』のような骨太の作品。
テキストを読み解き、空間で立ち上げる喜びを、少人数の密度で体に染み込ませていきます。
この経験が、古川さんの演劇への情熱と実践力の基礎を築いたと言えるでしょう。
古川琴音の高校時代——”続けられること”が見つかる

高校でも古川さんは演劇部を継続します。
この時期に、彼女の中で重要な自覚が芽生えます。
「部活とはいえ、演技だけは評価されていた」
この自覚は、やがて進路選択の羅針盤になります。
就活の時期に振り返ってみると、「他よりできるのはお芝居かもしれない」と気づきます。
続けてきた事実が、自己認識を支え、将来の方向性を決定づけたのです。
古川琴音の大学は立教大学・映像身体学科——”舞台を学ぶ”選択

「舞台について専門的に学びたい」
この明確な動機を持って、古川琴音さんは立教大学へ進学します。
舞台について専門的に学びたい。そんな思いから立教大学に進学しました。中学校、高校と演劇部に所属していたので、10代の頃は舞台に関することに一番興味があったんです。
出典:立教大学校友会
彼女が選んだのは、現代心理学部 映像身体学科。
この学科では、映画・写真・ダンス・演劇を横断的に学びます。
表現を理論(現象学)と実践の両面から捉える、ユニークなカリキュラムが特徴です。
古川さんが特に印象に残っていると語るのが「現象学」の講義です。
“何が在ると信じるか”という認識の問いを通して、役作りの解像度を上げてくれたといいます。
学術的思索と身体の感覚をつなぎ直す——この経験は、映像演技の現場で”見えない内面”を掬い上げる基礎体力になっています。
ESSドラマセミナー——英語”で”芝居をするということ

大学での古川さんの活動で特筆すべきは、英語劇のサークル「ESSドラマセミナー」での経験です。
四大学英語劇大会を目標に、徹底的な訓練を積みます。
その内容は想像以上にストイックです。
- 台詞すべてに発音記号を振る
- 口腔断面図で舌の位置を覚える
- 音→単語→文→イントネーション→感情と段階的に練習
1年目は「発音をマスターするだけで終わった」というエピソードが象徴的です。
英語への苦手意識を超える粘りと、先輩に朝から晩まで付き合ってもらう共同作業の積み重ねは、プロの現場でも活きています。
特に、プロ現場の反復撮影(同一テイクの再現性)に直結する経験だったと言えるでしょう。
就活としてのオーディション——プロの世界へ

卒業が近づき、古川さんは大きな決断をします。
「得意分野のことをしよう」と心を決め、ユマニテのオーディションに挑戦したのです。
“怖さで消耗する”ほどの緊張を感じつつも、続けてきた演劇を仕事にするという覚悟で門を叩きます。
その結果、見事合格し、ユマニテへの所属が決まりました。
学生時代の”作る・続ける・学ぶ・鍛える”が揃った地点から、映像・舞台の第一線へ踏み出したのです。
まとめ
古川琴音さんの学歴・出身校をたどると、肩書としての学校名以上に、現場で効く力を積み上げてきたプロセスが際立ちます。
その軌跡をまとめると、
- 中学:環境を自ら作る(演劇部創設)
- 高校:続けられることの自覚(評価の実感)
- 大学:理論と技術の両輪(映像身体学科×ESS)
- 就活:得意を軸に挑戦(ユマニテ所属)
この一本道が、作品ごとに印象を刷新する変幻自在の演技の土台になっているのでしょう。
古川琴音さんの今後の活躍が、ますます楽しみになりましたね。
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