俳優・歌手として長年第一線で活躍する高橋克典さん。
その多彩な才能の源泉となった学生時代に、多くの人が興味を持っているようです。
今回は、高橋克典さんの学歴や出身校、そして学生時代のエピソードについて詳しくご紹介します。
高橋克典さんの学歴を知ることで、彼の人間性や芸能活動の原点が見えてくるかもしれません。
ラグビーやバンド活動、さらには大学中退に至るまでの経緯など、意外な一面も含めてお伝えしていきます。
高橋克典の学歴と出身校

高橋克典さんの学歴は、一貫して青山学院で学んでいます。
具体的には以下の通りです。
- 青山学院初等部
- 青山学院中等部
- 青山学院高等部
- 青山学院大学経営学部(後に中退)
高橋さんは、小学校から大学まで青山学院で教育を受けました。
この「オール青学」の経験は、彼の人格形成に大きな影響を与えたと言えるでしょう。
特筆すべきは、高橋さんが現在も青山学院との強いつながりを持ち続けていることです。
2024年の青山学院創立150周年では、ブランドアンバサダーとして活動し、同窓祭の実行委員長や記念演奏会の司会を務めるなど、積極的に母校に貢献しています。
高橋克典の中高時代:ラグビーとバンド活動

高橋克典さんの中学・高校時代は、ラグビーとバンド活動に熱中した青春期でした。
中等部・高等部では、ラグビー部に所属していました。
ポジションはWTB(ウイング)やFB(フルバック)を務めていたそうです。高橋さん自身、この経験が「役割を分担して成果を出す」という、俳優業にも通じるチーム観の基礎になったと語っています。
一方で、音楽への情熱も芽生えた時期でもありました。
中学の文化祭でバンド活動を始め、高校ではさらに本格的に取り組んでいきます。この経験が、後の歌手デビューにつながっていくのです。
興味深いエピソードとして、高校時代に1学年下の尾崎豊さんと接点があったことが挙げられます。
高橋さんは、デビュー前の尾崎さんの「15の夜」を未完成版で聴いたことがあるそうです。
高橋克典の大学生活と芸能界への足がかり

高橋克典さんの大学生活は、一般的な学生とは少し異なる道のりを歩みました。
青山学院大学経営学部に進学した高橋さんは、通算9年(7年在学+2年休学)もの長期にわたって大学に籍を置きました。この間、芸能界への足がかりを模索していたようです。
大学在学中のエピソードとして有名なのが、名優・上原謙さんの付き人になった話です。しかし、現場の作法がわからずわずか3日でクビになってしまったそうです。
この経験は、高橋さんにとって芸能界の厳しさを知る貴重な機会となりました。
最終的に、高橋さんは大学を中退することになります。
27歳頃に退学届を提出したものの、すぐには受理されず、しばらく「籍を置いた状態」が続いたと言われています。
高橋は「やめようと思ったんですよ、何度も」とし、「退学届けを出したんです」と打ち明けた。しかし、いつも受理されなかったとか。その理由を高橋は「(退学届を)受領する課の課長が(高橋が中等部と高等部で所属していた)ラグビー部のOBなんです。しかも母と仲がいい人なんです。で、何せ母が学院内で働いているから、内線電話で(母のところに)電話が行く。『帰りに(退学届け)取りに来てください』っていうのが。それで『学生部よっ』て、僕が家に帰ると(僕の出した退学届けが)テーブルの上に置いてある」と苦笑交じりに説明。
出典:スポーツ報知
この長い大学生活と中退の経験は、高橋さんの人生観や芸能活動に大きな影響を与えたと考えられます。
まとめ:高橋克典の学歴が形成した人物像
高橋克典さんの学歴は、単なる学校名や卒業・中退の事実以上の意味を持っています。
青山学院での一貫教育、ラグビーで培ったチーム精神、バンド活動を通じた音楽への情熱、そして長い大学生活と中退の経験。
これらすべてが、現在の高橋克典さんを形作る重要な要素となっています。
特に、「地の塩・世の光」という青山学院のスクール・モットーは、高橋さんの価値観の核となっているようです。
俳優・歌手としての活動だけでなく、母校への貢献や社会への奉仕の精神にも、この理念が反映されています。
高橋克典さんの学歴は、単なる経歴以上の「自己形成のストーリー」として捉えることができます。
この豊かな経験が、現在の多彩な活動と魅力的な人間性を支えているのでしょう。
今後も、高橋克典さんの活躍から目が離せません!
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