平成ノブシコブシの吉村崇さんといえば、破天荒なキャラクターで人気のお笑い芸人ですね。
しかし、そんな吉村さんにも学生時代があったはず。
実は意外な学歴の持ち主だったり、芸人になるまでに様々な苦労があったりと、知られざるエピソードが盛りだくさんなんです。
今回は、吉村崇さんの学歴や出身校、学生時代のエピソード、そして芸人への道のりについてご紹介します。
特に、上京の際の祖母とのエピソードは、吉村さんの人生に大きな影響を与えた出来事として注目です。
吉村崇の学歴と出身校:大学へは進学せず

まずは、吉村崇さんの学歴と出身校を見ていきましょう。
吉村さんは1980年生まれの北海道札幌市出身です。
出身校は以下の通りです。
- 中学校:札幌市立八軒東中学校(北海道札幌市西区)
- 高校:北海道立札幌手稲高等学校
特筆すべきは、札幌手稲高校が札幌市内有数の進学校だという点です。
偏差値は60前後と言われており、難関大学への合格者も多い学校なのです。
手稲高校令和7年3月進学実績
出典:北海道札幌手稲高等学校ホームページ
しかし、吉村さんは高校卒業後、大学には進学せずにお笑いの道を選びました。
この決断は、周囲の期待とは異なる道を選んだという点で、吉村さんの強い意志を感じさせますね。
吉村崇の学生時代のエピソード

進学校に通っていた吉村さんですが、実は勉強にはあまり熱心ではなかったようです。
「できない」というより「やらないタイプの生徒」だったと言われています。
その代わり、吉村さんは意外にもスポーツに打ち込んでいました。
中学から高校にかけて、バスケットボール部に所属していたのです。
ただし、レギュラーとして活躍していたわけではなく、高校では記録係(スコアラー)を担当していたそうです。
競技に熱心というよりは、部活動を通じて友人との交流を楽しんでいたのかもしれません。
また、吉村さんの学生時代には、家庭の事情による苦労もありました。
中学1年生の時にバブル崩壊の影響で父親が職を失い、以降は父子家庭で経済的に苦しい生活を送ることになったのです。
そのため、吉村さんは中学・高校を通じて新聞配達などのアルバイトに励んでいました。
早朝から新聞配達をし、その後学校に通うという生活は、決して楽なものではなかったでしょう。
しかし、この経験が吉村さんの忍耐力や責任感を育てたのかもしれません。
さらに、高校時代には切ない失恋エピソードも。
好きな女の子に告白しようと友人に協力を頼んだところ、なんとその友人と女の子が付き合ってしまったのだとか。
青春のほろ苦い思い出となったようです。
この経験は、後の芸人としての活動でもネタとして活かされることになりました。
実は、吉村さんの性格は現在のイメージとは少し異なっていたようです。
子どもの頃から内気で人見知りな性格だったと言われています。
明治生まれの祖父と大正生まれの祖母に厳格に育てられた影響で、普段は礼儀正しく真面目な少年だったそうです。
現在の破天荒なキャラクターからは想像できない一面ですね。
吉村崇が芸人を目指したきっかけと上京後の苦労

吉村さんが芸人を目指すきっかけとなったのは、高校時代にテレビで観たお笑い番組でした。
「自分も芸人になりたい!」と強く思い、大学進学ではなく吉本興業の養成所(NSC東京校)に入学することを決意したのです。
90年代後半、ダウンタウンやナインティナインなどが活躍していた時代のお笑い番組に影響を受けたのかもしれません。
1999年に高校を卒業した吉村さんは、18歳で単身上京します。
しかし、この上京の際に忘れられないエピソードがあります。
実は旅立ちの直前、育ての親同然だった祖母と言い争いになってしまったのです。
勢いで「俺はばあちゃんが嫌いだから東京に行くんだ!」と口走ってしまったという吉村さん。
反抗期もあって飛び出すように故郷を離れたのですが、その約1か月後に大好きな祖母が急逝してしまいました。
最後に吐いてしまった酷い一言を深く後悔した吉村さんは、「もう後戻りできない」という覚悟で芸人の道を諦めずに突き進む決意を固めたそうです。
この経験は、吉村さんの芸人としての原動力になったのかもしれません。
上京後も、吉村さんの苦労は続きました。
- 東京の複雑な電車の乗り換えに苦戦
- 生活のために様々なアルバイトを掛け持ち
- お金がなく、先輩に食事を奢ってもらうことも
特に、電車の乗り換えには苦戦したようです。
池袋駅で乗り換えに迷い、19歳にして号泣しながら東京在住の叔父に「道に迷ってわからない!」と電話し、迎えに来てもらったというエピソードは、田舎出身の若者の苦労を象徴していますね。
生活面でも苦労は絶えませんでした。
上京直後からしばらくは整骨院の助手、立ち食いそば屋の店員、キャバクラのボーイ、深夜のコンビニ店員など様々なアルバイトを掛け持ちして、生計を立てていたそうです。
昼はネタ作りやオーディション、夜はバイトという極貧生活でしたが、「若い頃はご飯を食べるお金もなく先輩に奢ってもらってばかりだった」と振り返っています。
そんな中、NSC東京校で出会った徳井健太さんと「平成ノブシコブシ」を結成。
しかし、ブレイクするまでの道のりは平坦ではありませんでした。
コンビ仲の不和や、同期芸人が先にブレイクしていく中での焦りなど、様々な困難を乗り越えてきたのです。
実は吉村さん、徳井さんと組むまでに実に7回もコンビ解散を経験していたそうです。
なかなか相性の合う相方に巡り合えずに苦労したのでしょう。
そんな苦労の末、2010年前後から徐々にテレビ露出が増え、現在の人気を獲得するに至りました。
自ら「破天荒キャラ」を打ち出し始めると、バラエティ番組で一気に爪痕を残すようになったのです。
自虐的な失敗談もネタに昇華する明るさと、体当たりのリアクション芸で人気を博し、コンビとしても東京吉本の若手ユニット「ラ・ゴリスターズ」の一員に選ばれるなど飛躍のチャンスを掴みました。
まとめ
いかがでしたか?
吉村崇さんの学歴や学生時代のエピソード、そして芸人への道のりをご紹介しました。
進学校出身でありながら、勉強よりも夢を追いかけた吉村さん。
経済的な苦労や失恋、祖母との別れなど、様々な経験を乗り越えて今の地位を築き上げたのですね。
現在の破天荒なキャラクターからは想像できないような、真面目で努力家な一面も垣間見えました。
苦労や挫折を笑いに変える力、そして周囲の支えを大切にする姿勢が、吉村さんの成功の秘訣なのでしょう。
これからも吉村さんの活躍から目が離せませんね。
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