お笑い芸人として人気を博している横澤夏子さん。
実は彼女には、知られざる”卓球少女”としての過去があるのをご存知でしょうか?
今回は、
- 横澤夏子さんの学歴
- 中学時代に県大会で優勝した卓球エピソード
主にこれらを中心に、彼女の学生時代をご紹介します。
卓球一家に生まれ育った横澤さんの意外な一面や、お笑い芸人としての素質が垣間見える学生時代のエピソードをお届けします。
横澤夏子の学歴と卓球一家での幼少期

横澤夏子さんは、1990年7月13日に東京都墨田区で生まれました。
しかし、幼少期に家族で新潟県糸魚川市に移り住んでいます。
横澤さんの出身小学校は、新潟県糸魚川市立大和川小学校です。
ここで注目すべきは、横澤家が”卓球一家”だったという点です。
父親は中学校の国語教師で卓球部の顧問、母親は教育相談カウンセラーという家庭環境でした。
両親の出会いのきっかけも卓球だったそうです。
驚くべきことに、横澤家の実家には卓球専用の部屋(卓球台)があったのです。
幼い頃から、夕食後には毎晩2時間ほど家族で卓球の練習をするのが日課だったといいます。
この環境で育った横澤さんは、小学生時代から卓球の実力を磨いていきました。
家族全員で市民大会に出場して全員が優勝するという快挙もあったほどです。
しかし、横澤さんの小学校時代は卓球だけではありませんでした。
「とにかく目立ちたかった」という彼女は、応援団長や児童会長を務めるなど、学校行事でも積極的に活躍していました。
横澤夏子の中学時代の卓球部での活躍と県大会優勝

横澤さんの中学校は、糸魚川市立糸魚川東中学校です。
この学校は卓球部の強豪校として知られていました。
入学と同時に卓球部に所属した横澤さんは、守備的なプレースタイルであるカットマンとして腕を磨きました。
そして、中学1年生のときに新潟県大会で女子シングルス優勝という輝かしい実績を残したのです。
横澤は「私の卓球時代の唯一の栄光なのよー!」と当時を懐かしんだ。
出典:Techinsight
卓球部での活躍だけでなく、横澤さんは中学時代も目立ちたがり屋な性格を発揮しました。
生徒会長の選挙に立候補して当選し、生徒会長を務めたのです。
興味深いエピソードとしては、生徒会長の”権力”を活用して、好意を寄せていた男子生徒を生徒会役員に指名し、交際に発展させたこともあったそうです。
また、クラスでは先生のものまねを披露して人気者になるなど、お笑い芸人の片鱗も見せていました。
横澤夏子の高校生活と生徒会活動、お笑いへの目覚め

横澤さんの出身高校は、新潟県立糸魚川高等学校です。
高校でも卓球部に所属し、部活動を続けました。
しかし、本人曰く「中学の頃ほど強くはなれなかった」とのことで、全国大会級の成績は残せなかったようです。
それでも、卓球部での仲間との絆を高校青春の思い出として大切にしていたことがうかがえます。
高校でも生徒会に入り、今度は生徒会副会長を務めました。
これは、大好きな矢沢あいさんの漫画『天使なんかじゃない』の主人公が生徒会副会長だったことに憧れたからだそうです。
そして高校2年生の時、横澤さんの人生を大きく変える出来事が起こります。
同級生とお笑いコンビ「にんまり」を結成し、吉本興業主催のM-1甲子園2008新潟県予選に挑戦したのです。
結果は予選敗退でしたが、この経験を通じて「一番目立てる職業かもしれない」とお笑い芸人への興味が本格的に芽生えました。
高校3年生の進路三者面談の直前には、「大学には進学せず、お笑い芸人になる」と決意し、母親に宣言したのです。
まとめ:横澤夏子の学生時代から見る芸人としての素質
横澤夏子さんの学生時代を振り返ると、現在の彼女の芸人としての素質が随所に見られます。
卓球一家で育ち、中学時代には県大会優勝という輝かしい実績を残した努力家の一面。
常に目立ちたがり、生徒会長や副会長を務めた積極性。
クラスでものまねを披露し、高校ではお笑いコンテストに挑戦した芸人の片鱗。
これらの経験が、現在の横澤さんの芸風や人気の礎となっているのでしょう。
卓球少女から人気芸人へ。横澤夏子さんの今後の活躍にも、ますます期待が高まりますね!
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