北村友一騎手の壮絶な落馬事故から奇跡の復活、そして凱旋門賞挑戦までの軌跡をお届けします。
北村友一騎手と”北十字星”ことクロワデュノールの物語は、日本競馬界に新たな希望をもたらしています。
落馬による大怪我を乗り越え、日本ダービー制覇を果たした北村騎手の姿は、多くのファンに勇気と感動を与えています。
そして今、彼らは日本競馬界の悲願である凱旋門賞制覇に向けて、新たな挑戦を始めようとしています。
この記事では、北村友一騎手の壮絶な経験と、彼を導いた”北十字星”の物語をお伝えします。
北村友一の壮絶な落馬事故と復帰への道のり

2021年5月2日、阪神2R。北村友一騎手の人生を大きく変える出来事が起こりました。
直線での不運なアクシデントにより、北村騎手は重傷を負います。
診断結果は衝撃的なものでした。椎体(背骨)骨折と右肩甲骨骨折。
後に「背骨を8本折った」ほどの重傷だったことが明らかになります。
復帰までに1年以上を要すると報じられ、多くのファンが北村騎手の将来を案じました。
しかし、北村騎手の心は折れませんでした。
「もう一度、馬に乗りたい」。この一点に集中し、彼は過酷なリハビリに挑戦し続けました。
手術後、11日間は寝たきり。自力で起き上がるまでに約2カ月、ジョギングまで8カ月。
この長く厳しいリハビリの過程を、北村騎手は後年のコラムや取材で少しずつ語っています。
落馬後のトレーニングは想像を超える過酷なものだったという。首、背骨と肩甲骨を骨折。元の体に戻れる保証もなかった。失った体力を戻すためのトレーニング。固まった体をほぐすストレッチ。できるのはわずかな運動を重ねることだけ。それでも体を酷使するしかなかった。そんな姿を見守ってきた妻は当時の状況をこう語る。
「本当に1日も休まず、黙々とトレーニングしていました。私がお風呂に入っていると部屋からうめき声が聞こえたこともありました」
思うように体を動かせない北村の、いら立ちの声だった。
出典:東スポ
そして2022年6月11日、約1年1カ月ぶりに中京でターフに復帰。
6月26日の阪神「花のみちS」で復帰後初勝利を掴み、少しずつ日常を取り戻していきました。
クロノジェネシスとの絆が支えた再起への想い

北村友一騎手と言えば、多くのファンがクロノジェネシスを思い出すでしょう。
秋華賞制覇をはじめ、グランプリ連覇へとつながる大舞台の経験をともにした”主戦”の記憶。
しかし、落馬の影響でクロノジェネシスのラストランに騎乗することはできませんでした。
この悔しさは、北村騎手の胸の奥で燃え続けました。
再起の道のりにおいて、クロノジェネシスとの思い出は北村騎手の背中を押す大きな力となりました。
過去の栄光は時に重荷となりますが、北村騎手にとってクロノジェネシスは、まさに前を向かせてくれる存在だったのです。
クロワデュノールとの出会いと日本ダービー制覇

2024年暮れ、ホープフルSで新たな物語が始まります。
新星クロワデュノールと北村友一騎手のコンビが、年末G1を制したのです。
2歳王者となった”北十字星(クロワデュノール)”は、2025年クラシックの中心へと躍り出ました。
そして2025年6月1日、東京競馬場。第92回日本ダービーの舞台です。
クロワデュノールは1番人気に応え、道中好位から直線で抜け出す”教科書通り”の競馬で栄冠を手にしました。
タイム2分23秒7、3/4馬身差の完勝。北村友一騎手は3度目の挑戦でダービー初制覇を成し遂げ、デビュー20年目で”ダービージョッキー”の称号を手に入れたのです。
レース後、北村騎手は端的にこう語りました。
「馬を信じる、自分を信じる。その一点でした」
この言葉の背後には、1491日に及ぶ”落馬からの道のり”があったのです。
重傷の診断から約13カ月で復帰し、さらに約3年でダービー制覇。
この数字は、アスリートとしての再現性を超えた”人間の意志”の証左と言えるでしょう。
背骨8本の骨折という事実は、復帰そのものを奇跡の域に近づけるものでした。
まとめ
北村友一騎手の壮絶な落馬事故からの復活、そしてクロワデュノールとの日本ダービー制覇までの軌跡をお伝えしました。
そして今、彼らは新たな挑戦に向かっています。それは日本競馬界の悲願、凱旋門賞制覇です。
2025年秋、北村騎手とクロワデュノールはフランス遠征へ。
日本馬初の凱旋門賞制覇という夢に向けて、新たな一歩を踏み出しています。
クロワデュノール、フランス語で”北十字星”。
北村騎手の”北”と奇妙な符合を見せるこの名馬と、落馬から甦ったジョッキー。
彼らの物語は、多くのファンに勇気と希望を与え続けています。
セーヌ川の風が吹くロンシャンで、彼らがどんな競馬を見せてくれるのか。
日本中のファンが、彼らの挑戦を心から応援しています。
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