NEWSのメンバーとして活躍する加藤シゲアキさん。
アイドルとしてだけでなく、俳優や小説家としても高い評価を受けている加藤シゲアキさんですが、その文才はどのように育まれたのでしょうか?
学歴や出身校も気になりますよね。
そこで今回のこの記事では、
- 加藤シゲアキさんの学歴・出身校
- 文才の自覚は高校時代だった
主にこの2つに迫っていきます。
リサーチしてみたら、加藤シゲアキさんは青山学院で一貫教育を受け、高校時代に文才を開花させていたので、ぜひ最後まで読んでいってください!
それでは、早速本題に入っていきましょう!
加藤シゲアキの学歴・出身校は?

加藤シゲアキさんは、青山学院中等部から高等部、そして青山学院大学法学部まで進学しています。
1987年に大阪府で生まれた加藤さんは、小学6年生の時にジャニーズ事務所に入所しました。
中学受験で「天国と地獄」を経験
芸能活動と並行して中学受験に挑んだ加藤さんは、小学1年生から塾に通い始め、小学5年生からは灘塾という進学塾で本格的な受験準備に取り組みました。
第一志望の青山学院は「余裕だと思っていた」にもかかわらず、結果は補欠合格の1番という衝撃的なものでした。
しかし運命的な逆転劇が起こります。
青山学院の補欠合格が判明し、その連絡を事務所に入れた直後に、新たなドラマ出演のオファーが決まったのです。
この極端なジェットコースターのような一日を、加藤さんは「人生で一番調子いい日でした」と語っています。
青山学院での一貫教育
青山学院中等部に入学した加藤さんは、中等部・高等部で一貫教育を受けることになります。
青山学院では毎朝の礼拝で新約聖書を読む機会がありました。
当初、彼は聖書の記述の意味が全く理解できませんでしたが、タラント(才能)の寓話について「才能は土に埋めるのでなく、活かしたり勝負したりすることを神は後押ししている」という解説を受けた時、「なるほど!」と感銘を受けました。
この体験は、加藤さんにとって「人生初のメタファーとの出合い」であり、物事を額面通りに受け取らず、文脈や背景を読み解く「批評」の面白さを知るスタート地点となりました。
青山学院大学法学部へ進学
2006年、加藤さんは青山学院大学法学部に進学します。
法学で培われた厳密な論理構成力は、後の長編小説における複雑な構造設計に不可欠な要素となりました。
大学時代、加藤さんは特に思想や哲学に強い関心を示しました。
フロイトやユング、そして構造主義に傾倒し、社会学や文化人類学、批評家の著作を熱心に読みました。
この時期から彼の読書はエンタメ寄りではなくなり、文学・批評・人文書を資料として読み込むスタイルが確立されました。
加藤シゲアキ 文才の自覚は高校時代!

加藤シゲアキさんが文才を自覚したのは、高校時代のことでした。
高校時代後半は、加藤さんがアイドルや学生という既存の枠組みを超え、「作家」という第三のアイデンティティを明確に意識し始めた重要な時期でした。
「国語表現」の授業が転機に
アイドル活動との両立を考慮し、加藤さんは理系を断念し文系に進むことを決意します。
高校3年生の時、将来の法学部進学を見据え、論文の書き方や定型・フォーマットを習得したいという目的で選択したのが「国語表現」の授業でした。
しかし、加藤さんが期待していた厳密な論文指導とは異なり、国語表現の授業内容は「全部大喜利だった」と彼は回想しています。
毎回「自己紹介を面白く書く」といった創造的なテーマや、「鬼ごっこを原稿用紙2枚で説明せよ」といった、描写力と構成力を要する課題が課されました。
「大学で論文をかけるように、国語力をつけようと思って『国語表現』という授業を受講したのですが、創造性を重視する授業で、卒業制作で4ページを使って何でもいいから書いてみてくださいというお題だったんです。僕自身は、国語が苦手だなと思っていたのですが、僕の書いた文章を『面白い』って言ってもらえて…。まさか褒められるとは思っていなかったので、そこから書くことが好きなのかなという気持ちが芽生えて、ブログをやったり、エッセイをやらせていただいたり、書く仕事が増えてきたのが、今の仕事につながるはじまりでした」
出典:オリコンニュース
先生からの評価が決定打に
加藤さんはこの創造的な文章作成に没頭し、他の授業中にも文章を考えるほど熱中していきました。
創作への没頭を決定づけたのは、無愛想な先生からの肯定的な評価でした。
彼が提出した文章をその先生が初めて「褒めてくれ、花丸をつけてくれた」のです。
彼は「誰かが自分の文章を読んで興奮してくれるなんて嬉しい」と感じ、外部からの承認が彼の創作意欲を決定的に高めました。
論文志望で選択した授業が「大喜利」形式だったことは、彼にとって定型化された論理の鎖から解放される機会となり、フィクションを通じて内なる自己を表現する道を見出した瞬間でした。
若手作家の活躍に刺激を受ける
高校時代、日本の文学界で起きた「事件」も、彼の進路を決定づける要因となりました。
高校1年生の時、金原ひとみさんと綿矢りささんが若くして芥川賞を受賞したことに、加藤さんは大きな衝撃を受けます。
それまで小説の賞は中高年が獲るものという固定観念を持っていましたが、自分とさほど変わらない世代が文学界を牽引する姿を見て、小説家への強い憧れを抱くようになりました。
彼はこの刺激を現実の目標に落とし込み、「25歳までに小説を書きたい」という明確な期限を設定しました。
卒業文集の短編が処女作の源流に
この時期に培われた創作力は、卒業文集にも反映されました。
彼は国語表現の授業や卒業文集を通じて、短いフィクションを執筆しています。
注目すべきは、卒業文集に寄稿された短編が、後に短編集『傘をもたない蟻たちは』に収録された「にべもなく、よるべもなく」の作中作「妄想ライン」の原案となったことです。
さらに、彼の短編を読んだ同級生たちが刺激を受け、それまでエッセイや歌詞を書こうとしていた生徒たちまでが「俺もフィクション書く」と言い出し、次々と小説を書き始めたというエピソードがあります。
このエピソードは、彼の創作が既に周囲に影響を与えるほどの力を持ち始めていたことを示しています。
まとめ
今回は、加藤シゲアキさんの学歴や出身校、そして文才の自覚についてお伝えしました。
加藤シゲアキさんは、青山学院中等部から高等部、そして青山学院大学法学部まで一貫して青山学院で学びました。
中学受験では補欠合格という「天国と地獄」を経験し、青山学院でのリベラルアーツ教育を通じて批評性を獲得しました。
そして高校時代、特に高校3年生の時に選択した「国語表現」の授業が転機となり、文才を自覚するようになりました。
先生からの評価や若手作家の活躍に刺激を受け、「25歳までに小説を書きたい」という目標を設定し、2012年に小説『ピンクとグレー』で作家デビューを果たしました。
アイドル、俳優、そして小説家という三つの顔を持つ加藤シゲアキさんの活躍は、学生時代に培われた知性と創作力に深く根差しているのですね。

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