「情熱大陸」のテーマ曲で知られる、日本を代表するヴァイオリニスト・葉加瀬太郎さん。
世界各地で演奏活動を続ける葉加瀬太郎さんですが、その華やかなキャリアを支えた学歴や音楽教育の背景が気になりますよね。
幼少期の公民館でのレッスンから、名門・東京藝術大学での学び、そしてクライズラー&カンパニーの結成まで、葉加瀬太郎さんの音楽人生はどのように形作られてきたのでしょうか?
そこで今回のこの記事では、
- 葉加瀬太郎さんの学歴と出身校
- 幼少期から高校時代までの音楽体験
- 東京藝術大学でのクライズラー&カンパニー結成秘話
主にこの3つに迫っていきます。
リサーチしてみたら、葉加瀬太郎さんの学歴には、公民館での地道な練習から世界的な活躍へとつながる感動的なストーリーがあったので、ぜひ最後まで読んでいってください!
それでは、早速本題に入っていきましょう!
葉加瀬太郎の出身校と学歴一覧

まずは、葉加瀬太郎さんの学歴を一覧で見ていきましょう。
葉加瀬太郎さんは、大阪府吹田市で生まれ、地元の公立小学校・中学校を卒業後、京都市立堀川高校音楽科に進学しています。
その後、日本の音楽教育の最高峰である東京藝術大学音楽学部器楽科ヴァイオリン専攻に入学しましたが、音楽活動に専念するため中途退学されています。
【葉加瀬太郎さんの学歴】
- 小学校:大阪府吹田市内の公立小学校
- 中学校:大阪府吹田市内の公立中学校
- 高校:京都市立堀川高校音楽科(現・京都市立堀川音楽高校)
- 大学:東京藝術大学音楽学部器楽科ヴァイオリン専攻(中退)
堀川高校音楽科は関西でも有数の音楽教育機関として知られ、多くの演奏家を輩出してきた名門校です。
そして東京藝術大学は、クラシック音楽を学ぶ学生にとって日本最高峰の教育機関であり、葉加瀬太郎さんの学歴は、音楽家としてのエリートコースを歩んできたことを物語っています。
4歳から始まった葉加瀬太郎の音楽の道!公民館でのバイオリンレッスン

葉加瀬太郎さんは、1968年1月23日、大阪府吹田市に生まれました。
現在は「世界的ヴァイオリニスト」という肩書きが定着していますが、音楽の原点は、ごく身近な家庭の中にあります。
両親の「何か楽器をやらせたい」という思いから、4歳のときにバイオリンを習い始めました。
当時の日本ではピアノを習う子どもが多い時代でしたが、葉加瀬さんの場合は、たまたま”バイオリン”という選択肢が目の前に現れたのです。
本人も「どの楽器でもよかった」と語るほど、運命的でありながら、どこか自然な出会いだったようです。
小学生の頃の葉加瀬少年は、地元の公立小学校に通いながら、放課後になるとバイオリンを持って公民館へ向かいます。
地域の音楽教室やサークルが集まるその場所は、子どもたちがクラシック音楽に触れる数少ない機会の場でした。
先生のもとで基礎を学び、時には同年代の子どもたちと合奏を楽しむこともあったといいます。
まだ背丈に合わない小さな分数楽器を抱え、譜面台にかじりつくように音符を追いかける――。
そんな姿を想像すると、「世界のHAKASE TARO」のルーツが、公民館の一室にあったことが、とても象徴的に感じられます。
バイオリンを1番練習したのは小、中学生時代。団地住まいだったので、夜9時までしか音を出してはいけなかったという。当時の暮らしについて「公団住宅の団地でクーラーもなければ、夏だったらずっと窓開けてるわけだよね?友達の家とかもカギとか閉めてない。そして、誰の家で飯食っててもいい長屋みたいな…そんな感じだったわけ」と回顧。「そこで家帰ってきたら、毎日夜9時までは練習するんですけど、練習してない日とかは近所からは『きょう太郎くん、なんだ風邪ひいたのか?』と…」と練習しない日には近所からは心配する声があがっていたと明かし、最後には「今(の時代)からしたら考えられない」と当時を思い返した。
出典:スポニチ
葉加瀬太郎の京都市立堀川高校音楽科での本格的な音楽教育

葉加瀬太郎さんの学歴の中で重要な転機となるのが、高校進学のタイミングです。
10歳から師事していた東儀先生の母校であることが縁となり、京都市内の堀川高校音楽科(現・京都市立堀川音楽高校)へ進学します。
堀川高校音楽科は、関西でも有数の音楽教育機関として知られ、多くの演奏家を輩出してきた名門校です。
入学する生徒の多くは、小さい頃からピアノや管楽器、弦楽器に親しんできた”音楽一筋”の若者たちです。
葉加瀬さんもその一人として、ソルフェージュや楽典、アンサンブルなど、専門性の高いカリキュラムにどっぷりと浸かる日々を送ります。
インタビューでは、高校2年生になる頃まで、団地の押し入れの一角を「自分の部屋」として使い、そこでラジオやカセットデッキに囲まれながら、ブラームスばかり聴き続けていたというエピソードも紹介されています。
団地の押し入れを自分のスペースにして、昼は勉強机、夜はベッド。
ブラームスを繰り返し聴きながら、自分だけの世界に没頭していた――。
この”押し入れの自室”の話は、葉加瀬太郎さんの人柄をよく表している象徴的なエピソードです。
限られた空間を工夫して自分の居場所に変え、そこで音楽と向き合い続けた時間が、その後の自由で伸びやかな表現につながっていったのでしょう。
高校2年生になると、学校近くの学生マンションへ移り、より音楽に集中できる環境を手に入れます。
地元を離れ、同じ志を持つ仲間たちと切磋琢磨する日々は、若きバイオリニストの感性を大きく育てていきました。
葉加瀬太郎の東京藝術大学でのクライズラー&カンパニー結成秘話

高校卒業後、葉加瀬太郎さんは日本の音楽教育の最高峰である東京藝術大学音楽学部器楽科ヴァイオリン専攻に進学します。
東京藝大は、クラシックのエリートが集う場として知られ、教授陣も世界的な音楽家が名を連ねる、非常に厳しい環境です。
そこで葉加瀬さんは、より高度な技術や音楽理論を学びながらも、「自分が本当にやりたい音楽は何か」という問いを強く抱くようになります。
周囲の学生たちは、国際コンクールやオーケストラのポストを目指し、徹底的にクラシックの王道を歩もうとしている人が多い中、葉加瀬さんは、ロックやポップス、ジャズなどの”外の音楽”にも強く惹かれていました。
クラシックのエリート教育を受けながら、ポピュラー音楽にも心を奪われる――
この”二重構造”こそが、のちの葉加瀬太郎サウンド、そしてクライズラー&カンパニーのスタイルへとつながっていきます。
1987年、まさに東京藝術大学のキャンパスで、葉加瀬太郎さんの音楽人生を決定づける出会いが訪れます。
同じ東京藝大の学生であったベース・竹下欣伸さん(器楽科コントラバス専攻)とキーボード・斉藤恒芳さん(作曲科)とともに、3人でユニット「クライズラー&カンパニー(KRYZLER & KOMPANY)」を結成するのです。
グループ名の由来は、葉加瀬さんも尊敬するヴァイオリンの巨匠フリッツ・クライスラー。
クラシックの伝統に敬意を払いながらも、それを現代的・ポップな感覚で再構築する――そんなコンセプトが、名前の中にも込められていました。
結成当初は、クライスラーをはじめとしたクラシックの名曲を、シンセサイザーやエレキベースを取り入れたアレンジで演奏するスタイルが中心でした。
しかし活動を続けるうちに、メンバーそれぞれの作曲センスが発揮され、オリジナル曲も増えていきます。
東京藝大という”クラシックの牙城”の中で、ポップスやロックのエッセンスを大胆に取り入れる――
当時としては非常に斬新な試みであり、学内外で大きな話題となりました。
1990年、クライズラー&カンパニーはシングル「愛のよろこび」でメジャーデビューを果たします。
この曲は、フリッツ・クライスラー作曲の「愛の喜び」を大胆にアレンジしたもので、クラシックファンにもポップスファンにも衝撃を与えました。
学生援護会anのCM曲として起用され、一般の視聴者にも強い印象を残します。
続く1991年には、サン=サーンス作曲「動物の謝肉祭」より「水族館」をアレンジしたシングル「水族館」をリリース。
この曲は、日産自動車「シルビア」のCM曲に採用され、大きな注目を集めました。
クラシックの名曲を、ポップスの文脈に乗せて一般大衆へ届ける――。
このアプローチは、当時の日本のクラシック界にとっては異端とも言えるものでしたが、結果的には多くの新しいファンをクラシックの世界へ誘う役割を果たしました。
なお、葉加瀬さんは東京藝大を中途退学しており、「大学という枠に収まりきらないエネルギーが音楽活動のほうへ溢れ出していった」と言えるかもしれません。
まとめ
今回は、葉加瀬太郎さんの学歴と音楽教育の背景についてお伝えしました。
葉加瀬太郎さんは、4歳から公民館でバイオリンを習い始め、京都市立堀川高校音楽科、東京藝術大学という日本最高峰の音楽教育を受けてこられました。
東京藝大在学中にはクライズラー&カンパニーを結成し、クラシックとポップスを融合させた斬新な音楽スタイルで、日本の音楽シーンに新しい風を吹き込みました。
葉加瀬太郎さんの学歴は、単なる学校名だけでなく、公民館での地道な練習から世界的な活躍へとつながる、音楽に捧げた時間そのものと言えるでしょう。

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