こんにちは!今回は、シンガーソングライターとして活躍する矢井田瞳さんの学歴や出身校、そして音楽活動の始まりについてお届けします。
実は矢井田さん、大学に入学するまでは音楽とは無縁の生活を送っていたんです。
そんな彼女が、どのようにして音楽の道を歩み始めたのか、一緒に見ていきましょう!
矢井田瞳の学歴と出身校

まずは、矢井田瞳さんの学歴と出身校を詳しく見ていきましょう。
矢井田さんは1978年7月28日、大阪府豊中市で生まれました。地元の公立学校に通い、以下の学校を卒業しています。
- 豊中市立新田南小学校(推定1984年入学、1990年卒業)
- 豊中市立第九中学校(1990年頃入学、1993年卒業)
- 大阪府立箕面高等学校(1993年入学、1996年卒業)
- 関西大学 文学部(1997年入学、2001年卒業)
特筆すべきは、箕面高校が制服のない自由な校風で知られる進学校だったこと。
矢井田さんは一般受験で合格しています。
大学では文学部に在籍し、フランス語フランス文学を専攻しました。実は、お笑い芸人「南海キャンディーズ」の山里亮太さんと同学年で、同じ文学部に在籍していたことも知られています。
高校時代までのスポーツ中心の生活

意外かもしれませんが、矢井田さんは高校時代まで音楽とはほとんど無縁の生活を送っていました。
中学・高校を通じてバレーボール部に所属し、学生時代はスポーツに明け暮れていたのです。
特に高校時代は「朝から晩まで練習漬け」の毎日で、本格的に部活動に打ち込んでいました。
矢井田さん自身、インタビューで「高校時代はバレーボール部で朝から晩までバレー漬けだった」と振り返っています。試合に勝つために必死で練習した青春時代だったことがうかがえますね。
ただし、幼い頃から歌うこと自体は大好きだったようです。
小学生の頃には演歌歌手・石川さゆりさんの『津軽海峡・冬景色』や『天城越え』を夢中で練習し、独特のこぶしやビブラートを自然に身につけていたというエピソードもあります。
しかし、中学高校では音楽より部活動に情熱を注いでいたため、「大学に入学したら音楽サークルに入って歌おう」と心の中で思い描いていたそうです。
関西大学入学とギターとの運命的な出会い

1997年、矢井田さんは関西大学に進学します。
ここで彼女の人生を大きく変える出来事が起こります。
大学入学直後、キャンパス内である男性学生が激しいロックギターをかき鳴らしているのを目にしたのです。
“大学に入学したらサークルに入って音楽をやろう”と思っていたそうです。ところが、矢井田さんはサークルに入る前に、衝撃的な出会いをしてしまうのです。
出典:TOKYO FM
その指さばきがあまりにも格好良かったため、「私にもできるだろうか?」と強く心を動かされました。
その衝撃を受けた矢井田さんは、なんとその足で楽器店に向かい1万円のアコースティックギターを購入。19歳のときでした。
ギターを手にした矢井田さんは、結局サークルには入らず近所の公園で毎日のように練習を重ねました。
最初はプロになろうとは思っておらず「なんとなく音楽でもやろうかな」という程度の気持ちだったそうですが、ギターを弾き始めてみるとその楽しさに夢中になりました。
持ち前の集中力で独学ながらコードを次々覚え、毎日ギターに触れているうちに自然とメロディーを口ずさむようになり、気付けば作曲も始めていたといいます。
その結果、ギター購入からほんの2年後の1999年には早くもプロデビューのチャンスを掴みます。
21歳のとき、千葉テレビのオーディション番組「ザ・デビュー」に自作のデモテープを送り、見事グランドチャンピオンに輝いたのです。
これがきっかけとなり、大学在学中の2000年5月、自主レーベル「青空レコード」よりシングル『Howling』でインディーズデビュー。
同年7月には東芝EMIから『B’coz I Love You』でメジャーデビューを果たします。
19歳でギターを手にしてからわずか2年でのメジャーデビューは異例のスピード出世ですが、裏を返せばそれだけ彼女が熱心に音楽に取り組んだ証と言えるでしょう。
まとめ
矢井田瞳さんの学歴と音楽活動の始まりについて、いかがでしたか?
高校までスポーツ一筋だった彼女が、大学でギターと出会ったことをきっかけに音楽の世界へ飛び込み、わずか2年でメジャーデビューを果たすまでの道のりをお届けしました。
矢井田さんの「好きなことにはとことんのめり込む」という姿勢が、スポーツから音楽へと情熱の対象が変わっても、彼女を成功へと導いたのでしょう。
これからも矢井田瞳さんの音楽活動から目が離せませんね!
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