赤楚衛二の学歴は?両親は教育熱心!

赤楚衛二さんの学歴や両親の教育方針について、詳しく調べてみました。

教育熱心な家庭環境で育ち、俳優への夢を追いかけた赤楚さんの軌跡は非常に興味深いものです。

それでは、赤楚衛二さんの学生時代と家族背景について見ていきましょう!

目次

赤楚衛二の生い立ちと家族背景

出典:映画.com

赤楚衛二さん(1994年3月1日生まれ)は大阪府守口市で生まれ、その後まもなく愛知県名古屋市で育ちました。

家族は両親と弟の4人家族で、特に両親がとても教育熱心なことで知られています。

お父様は言語学者で大学教授の赤楚治之さんで、2020年には名古屋学院大学の第13代学長に就任されました。

お母様も自宅でピアノ教室を開いて子どもたちに教えるなど教育熱心な方で、赤楚さん自身も3歳の頃から中学生になるまでピアノを習っていたそうです。

赤楚衛二の幼少期の教育環境

幼い頃からこのような家庭環境に育った赤楚さんは、自然と勉強や習い事に励む日々を送っていました。

幼少期には地元(名古屋市近郊)の剣道クラブに通い、週末の稽古にはご両親のどちらかが車で送り迎えするなど、家族ぐるみでサポートしていたといいます。

両親がともに教育者ということもあり、「子どもの頃は父親によく『勉強しろ』と言われていた」そうで、海外開催の学会に一緒について行ったこともあるそうです。

両親の教育方針はかなり厳格で、赤楚さん曰く「うちは両親とも教師なので、割とスパルタだったんです」とのこと。

「通知表やテストの点数が悪いとよく怒られたそうです。小学5年で方程式を教えられて、『できない』と言ったら怒鳴られたこともあるのだとか」

出典:女性自身

実際、小学校までは家族で比較的手狭なアパート暮らしで自分の部屋もなく、中学受験をして私立中学に進んだものの月のお小遣いは500円だったといいます。

赤楚衛二の中学校時代:私立中高一貫校から公立校へ転校

出典:スポニチ

赤楚衛二さんは中学受験をして名古屋市内の私立中高一貫校に入学しました。

校名は公式には公表していませんが、インターネット上の情報では名古屋国際中学校(共学)に在籍していた可能性が高いようです。

この中学校は中高一貫の進学校で、ほとんど部活がないほど勉強に力を入れている学校だったとも言われます。

ところが、赤楚さんは中学3年生の時に学校を転校しています。

転校先は地元の公立校で、名古屋市立藤森中学校に編入したと言われています。

転校の詳しい理由は明らかになっていませんが、本人は後に「中高一貫校に通っていたけれどあまり勉強しておらず、このままで将来が不安になったため地元の中学に転校した」と語ったとする情報もあります。

赤楚衛二の高校時代:東邦高校での青春と芸能活動の両立

出典:pinterest

赤楚衛二さんは愛知県名古屋市名東区にある東邦高等学校に進学しました。

東邦高校といえば1923年開校の伝統校で、硬式野球部が全国大会(甲子園)で優勝最多記録を持つ野球の名門校としても有名です。

高校では部活動とアルバイト、そして芸能活動に挑戦しています。

入学当初はテニス部に入部しましたが、アルバイトに夢中になってしまい半年ほどで退部しました。

高校時代の赤楚さんは、自身で「いわゆる”陽キャラ”」だったと語るほど明るく社交的な生徒でした。

クラスでは主要な仲良しグループに所属しつつも、そのグループ以外の生徒とも分け隔てなく接していたそうです。

そんな赤楚さんは高校2年生だった2010年、16歳の時に地元名古屋の男性アイドルグループ「BOYS AND MEN」(通称ボイメン)に加入し、本格的に芸能活動をスタートさせました。

赤楚衛二の大学時代:名古屋学院大学と中退、夢への挑戦

出典:FAST

赤楚衛二さんは2012年に東邦高校を卒業した後、名古屋学院大学・外国語学部英米語学科に進学しました。

名古屋学院大学(NGU)は名古屋市熱田区に本部を置く私立大学で、実は赤楚さんのお父様が教授として勤めていた大学でもあります。

大学1年生だった2011年にはボイメンを脱退し、一時的に芸能の仕事が減ってしまいます。

しかしその後も俳優になる夢を諦めず、大学2年生だった2013年に「サマンサタバサ メンズモデルオーディション」に挑戦しました。

このオーディションで見事グランプリに輝き、東京の芸能事務所にスカウトされたことで上京のチャンスを掴みます。

この決断にあたり、赤楚さんは大学を2年生で中退する道を選びました。

将来を考え悩んだ末、「今の事務所に声をかけていただいた19歳の時に『東京に出る!』という覚悟が出来た。やりたいこと、好きなことのほうに舵を切って正解だったと思っています」と語っています。

まとめ

赤楚衛二さんの学歴を振り返ると、幼少期から中学までは勉強第一のスパルタ教育で鍛えられ、高校では友情と青春を謳歌しながら芸能活動にも挑戦、

大学では父のもとで学びつつ自分の進路を果敢に切り開いたことが分かります。

各学校でのエピソードには、人懐っこく明るい人柄や努力家の一面が色濃く表れていました。

両親の教育熱心さに支えられて学業に励んだ経験があったからこそ、俳優になるという大きな夢にも挑戦できたのかもしれません。

青春時代の楽しい思い出もたくさん作り、「やり残した青春はない」と言い切れるほど充実した学生生活を送った赤楚さん。

そんな彼がこれから歩んでいく道にも、きっとご両親の教えと学生時代の経験が生きてくることでしょう。

これからも赤楚衛二さんの活躍から目が離せませんね!

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